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「もうあなたたちは、Outsider Artistsではない」

「アール・ブリュット」

人によって意味はまちまちのようだが、正規の美術教育を受けていない人によるアート・芸術、と定義されることが多い。

よく行くお店のオーナーにSさんがいる。気さくな方で、数か月顔を見せなくても、昨日も来ていたかのように普通に接してくれる。コロナ禍では
「仕事にならない」と、店を昼間にあけて将棋大会をしたこともある。

そんな彼は、実は版画を三十数年、黙々と掘り続けている。店に溢れる版画絵は彼の作品だ。ちゃんと聞いたことはないが、クマの木彫り以外、きっと彼の作品だろう。

そんな彼が数十年前に耳にしたことのある応募展に2点出展したそうだ。
「遊び半分だったんだよ」
と、彼は言う。

そんな彼の「遊び半分」が一次選考を通過し、今度地方の温泉地で展示会が開催されることになっている。

いつ版画を覚えたの?
彼は苦笑いをしながら煙草を吹かす。
「高校の美術でやったきりだよ。それからはずっと独学、自己流」
そう言って、少し恥ずかしそうに煙草の煙を吐き出した。

「アート・ブリュットなどとも言われます」
講師の先生は僕たちに説明を続けた。広い教室に響く声でふと、頭を上げる。すぐにSさんのことを思い出した。
アートは僕にとってごく身近で、ホワイトキューブに飾られているだけのものではなく、ここ数年にすごく身近なものに感じるようになった。そのこともいつか、話したい。

「みなさんは、芸術大学で学んでいるので、もうすでにこの範疇には入りませんよ」
 講師の先生は冗談っぽく笑って言った。通信制の学生たち。年齢は19歳から70代もいるだろう。人生のバックボーンも年齢もバラバラの僕らに対するアイスブレーキングのような言葉だったのだと思う。

ただ、僕は衝撃を受けた。本当にズキン、と音がするように胸が鳴った。
そして、思い出す。時々暇にまかせて描いていた絵のこと。風景画のこと。
たしかに僕らは、今芸術に関する最高学府での教育を受けているのだ。
適当に描いていたなんちゃって遠近法は、二点投影図などの理論的把握をしながら、曲がりなりにも描くようになっている。たしかに、僕たちは少しずつだが、進んでいるのだと思う。

世界を動かすのはいつも「ことば」だ。音楽には音楽の「ことば」があり、絵画には絵画の「ことば」がある。

いま僕たちは「建築のことば」を学んでいる。設計図という共通言語で語られる世界。

そんな覚悟を知らされた日だった。


国立代々木競技場の球形ジョイント:施工中刻々と変化する荷重とケーブル角に対応するため球体のジョイントが開発された。


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