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よく眠れた朝には 第1話

 オレは単なるサラリーマン、え~っと、つまり、世間で言うところの普通のサラリーマン。特に賢くもなく、特にすごい企業に勤めている訳でもなく、なんとなく普通の大学に入り、なんとなく普通の企業に就職したごく普通のサラリーマンなんだ。

 なんとなく一人暮らしに憧れて、それなりの賃貸マンションに住んでいる。住んでから後悔しているのだが、何から何まで自分でしなければならないのがめんどくさい。ゴミ出しなんか、最近は分別しないと怒られるし、流しのゴミをそのまま流したら詰まってしまって、えらい怒られた。いい加減なことはできないもんだ。

 掃除も掃除機でガンガンやると、階下の人に文句を言われ、両隣からも文句の嵐。静かに掃除しないといけないことも学んだ。

 トイレも掃除しないと、こびりついてなかなか取れない。毎回、しっかりふき取っていれば、後で大変な掃除にならないということも学んだ。

 料理もそれなりにできるようになった。栄養のバランスを考えないと、口内炎になったり、体調が優れないことにもなる。おかげで、栄養士とまではいかないが、それなりにバランスよく食事ができるような知識も、多少だが得ることができた。まあ、テレビでそんな番組が多いせいもある。それ以外はひとりだから、多少ルーズでも、文句言うヤツはいないし、適当に暮らしている。

 だが、ひとり暮らしは何かとお金が掛かる。案外、自分の安月給ではお金は貯まらないもんだ。世間の連中もそんな暮らしをしているんだろう。この世の中、よっぽど、頭の冴えたヤツだけが優雅な暮らしをしてるんだろうな。でも、無茶な使い方をしなければ、ささやかな貯金ができるみたいだし、なんとかなるかな。

 おっと、言い忘れたけど、オレ、山本慎二。今風の男の平均的な身長で、太ってないから中肉ってところかな。髪は気分でちょっと茶系統に染めている。まあ、仕事に差し障りのない程度のオシャレってとこだね。休みは土日と祝日くらい。平日はいつもこき使われている。仕事は先輩と新規顧客回りの営業だ。必ず、2名体制がうちの会社の方針だ。

「山本、アイダ工業の社長にアポ取っておいてくれ!明後日の午後がいい。」
「あっ、はい。了解っす。」
早速、電話。ここの社長はなかなか捕まらない。
「あ、日栄商事の山本と申しますが、竹田社長、いらっしゃいますか?」
「今、現場へ出ており、お昼過ぎに戻る予定になっておりますが」
「では、日栄商事の山本から電話のあったことをお伝えください。また、電話いたします。」

「加藤さん、やっぱ、すぐには無理っすよ。」
「そこをなんとかするのが、山本くんだろ?」
「じゃ、近所なんで、ひとっ走り行ってきます。」
「おう、頼むわ。」

 竹田社長は電話じゃなかなか捕まらないけど、面と向かえば、すぐにスケジュールに入れてくれる。よっしゃ、今日も頑張るか!会社のチャリンコで10分も走れば、アイダ工業に到着する。オレはいつものようにチャリンコにまたがって走り出た。

 脚力だけは自信があるんで、チャリンコはお手の物だ。ギュィ~ンとすっ飛ばして、あと少し。

「・・・待・っ・て・・・」

 オレの頭の中に何か聞こえた。チャリンコを止めて振り返ったけど、誰もいない。そうだよな、今走ってきたばかりだし、誰も追い抜いてなんかない。おかしいなぁ。そう思って前を向いた時だった。

 そこの信号は青だったけど、横からトラックが突っ込んできた。オレと同じ進行方向に走っていたくるまに激突。すっげぇ、事故。えっ、もしかして、オレ、止まらなかったら、お陀仏だったってこと?瞬時に、鳥肌が立った。あぶなかったんだぁ。

 じゃ、さっきの声は何?あれはいったいなんだったんだ?良く分からないけど、助かったということだ。まさに九死に一生ってやつか?

 あの声はそれっきりだった。その日は聞こえてくることはなかった。

 数日が過ぎ、オレは先輩と新たな顧客を発掘しようと、いくつか候補を挙げ、営業に出ていた。道中は先輩とアホな話しで盛り上がっていたが、また、あの声が聞こえた。

「・・・あぶない!・・・」

「えっ?」
「どうした?」
オレらは立ち止まった。その瞬間、目の前に鉢が落ちてきた。
「うわ~!あっぶねぇ~。」
上から、
「すみませ~ん。ごめんなさ~い。お怪我ありませんか~?」
マンションの上層階の、恐らく主婦らしい人が叫んでいた。

「あぶねえなんてもんじゃねぇよなぁ。」
「間一髪でしたね。」
「だけど、どうしてお前、分かったんだ?上なんて向いてなかったのに?」
「だって、あぶない!って声、聞こえませんでした?」
「いや、そんな声、聞こえてこなかったけど。」

 今度は確かに聞こえた。女の人の声で、あぶないと。あのトラックのときと、恐らく同じ声だったような気がする。先輩には聞こえていないようだし、オレだけなのか?

 次に聞こえたのは、数日経ってマンションから駅へ向かう途中だった。

「・・・わき道へ入って・・・」

 なんで?疑問が残ったが、すっとわき道へ入った。とたん、ガッシャーンという音が聞こえた。えっ、なんだ?オレはわき道を引き返した。そこには、くるまが突っ込んで数人が倒れていた。オレがそのまま歩いていたら、間違いなく同じように倒れていただろう。

「君はいったい誰なんだ?」
「・・・私は・・・」
よく考えるといつも頭の中に聞こえてくる。ということは、オレにしか聞こえないのか。
「君は誰?」
「・・・私、わかりません・・・」
「どこにいるんだ?」
「・・・わかりません・・・」
「・・・ここはどこなんでしょうか?・・・」
「はぁっ?じゃ、名前は?」
「・・・わかりません・・・」
いくつか質問したが、そのまま聞こえなくなった。いったい何だっていうんだ?今の声の主は誰なんだろう?名前もわからないとか、ここはどこ?とか、記憶喪失か?ってんだ。

 でも、・・・助けてくれたよな。だけど、頭の中に聞こえてくるなんて、いったいどういうことなんだろう?

 翌朝、目覚めると、奇想天外なことが待ち受けていた。
 
 オレはベッドの中で窓からの光を見て、多分寝坊?した感を目一杯感じていたが、休むかどうか葛藤していた。今日はだるい。やっぱ、休もう。そう思ったとき、また声が聞こえた。

「・・・なんて気持ちのいい布団・・・」
「・・・とっても暖かい・・・」

 オレはぎょっとした。昨日、女の子連れ込んだっけ?あわてて、布団の中を探ったが、オレひとりだった。そうだよな、昨日合コンなんて行ってないし、彼女もいないし、そんな訳ないよな。

「・・ここはどこでしょうか?・・」
また、聞こえた。この子はいったいだれなんだろう?
「・・私にもわかりません・・」
そうか、名前もわからないとか言ってたよな。
「・・はい、わかりません・・」
えっ、オレしゃべっていないんですけど。
「・・でも、聞こえております・・」
どこにいるんだ?オレは何回も部屋を見渡した。でも、オレしかいない。

「・・ここがあなた様のお屋敷でございましょうか・・」
お屋敷ってほどでもない、マンションの1LDKだし。
「・・わんえるでーけー?・・」
部屋の広さってこと。一部屋とリビングダイニングってこと。
「・・りびんぐだいにんぐ?・・」
この子、何も知らんのかな?っていうか、何でオレの心に直接話してくるん?どうなってんの?
「・・どういうからくりか、わかりませんが・・」
「・・あなたの見ているすべてが、私に見えているようでございます・・」
オレ・・・、もしや二重人格になってしまったのか?こいつとこの体を使い分けるってことか?映画で見た「〇〇〇の名は」のように。ということは、何か起こるのか?
「申し訳ありません。何をおっしゃっているのか、わかりません。」

 落ち着け、オレ。こういうときはどうすればいいんだ?まずは状況把握からだ。さっき、見えているものがどうとか言ってたよな。
「はい、あなた様の見ているものが、私の見ているもののようでございます。」
ということは、オレが見ているものが見えるということ?
「そのようでございます。」
ということは、今、天井を見ているので、この人にも天井が見えているということか。
「そうでございます。でも、変わった天井でございますね。」
何が変わった天井?普通の天井だし。
「木目がございません。」
普通ないだろ。
「そうなんでしょうか?」
だけど、この人、誰なんだろうか?
「私もわかりません。」
じゃ、なんでオレの意識にしゃべってくるんだ?
「本当にわからないのでございます。」

 オレはベットから出て、鏡の前に立った。
「これがオレ。見えてる?」
「ええ、ちゃんと見えております。でも」
「でも、なんだ?」
「なんか変わった格好でございますね。あまり見ない頭でございますし。南蛮風なのでしょうか?」
「別に普通だし。」 
「お着物は着ないのでしょうか?まげは結ってないのでしょうか?」
「何それ?」
「それに、あなた様がその板に写っておいでなのは、なぜでしょうか?」
ちょ、ちょっと待ってよ。鏡知らないの?
「かがみ?かがみと申すのですか?聞いたことはありますが、見るのは初めてでございます。自分の姿が写るのですね。」
この子、飛んでるのかな?ヤクとかやってたりして。
「ヤク、とは何でございましょうか?」
「ハイになるクスリ。」
「はぁ?」
もう、どうでもいいよ。オレは一旦落ち着こうと湯沸しに水を入れ、スイッチを入れた。

「今、お水がその筒のようなものから出てきましたが?」
「当たり前じゃん。」
「どうなっているのでございましょう?井戸から汲んでくるものではありませんか?」
「はぁっ?何、分からないこと言ってんの?」
「もう一度やってみせてはもらえませんか?」
なんじゃそりゃ?この娘、やっぱり変だ。と、思いつつ、水道のレバーを上げた。
「このからくり、どのように?それに、とてもきれいに光っている筒でございますね。」
なんか、ありえないんですけど。
「いったいどういうことでございますか?」
それ、オレが聞きたいんですけど?
「よくわかりません。」

 この人、しゃべり方おかしいし、もしかして、まさかな?いや、もしかして?
「ん?何でございましょうか?」
一応聞くけど、今何年?
「安政3年でございますが?」
安政って、いつ?
「いつと申されても、安政でございますが?」
オレはパソコンを立ち上げ、和暦一覧で検索してみた。安政、安政っと、ん、1858年?
「どういうことなのでしょうか?」
驚くな!今は2019年だ。つまり、君の時代から160年も先の未来の時代なんだ。
「そんな!」
この娘は160年前の娘ということになる。それじゃ、水道も見たことないよな。あまりにカルチャーショックになるに決まっている。

その時、ピーと音がなった。
「何の音でございましょうか?」
ああ、お湯が沸いた音だよ。
「先ほど、火などつけてなかったのではございませんか?どのように沸かされたのでしょう?」
今は電気で沸かせるんだ。この容器に水を入れて、スイッチをオンすれば、あとはほっておいてもお湯が沸く。
「160年も経つとそのようなことができるようになるのですね。」
そういえば、お腹が減った。
「恥ずかしながら私めも。」
オレは冷蔵庫の冷凍庫から1食分に取り分けてあるご飯を取り出し、電子レンジに入れて暖めスイッチをいれた。
「これは、一体?」
ああ、冷蔵庫からご飯を出して、チンする。
「チンするとは?」
つまり、ご飯を冷凍しておいて、それを解凍するってことさ。
「よくわかりません。」
そうだろうな。仕方ないさ。でも、百聞は一見にしかずだ。見て、食べてみればわかるさ。そう思いながら、冷蔵庫から昨日取っておいた肉じゃがを取り出した。レンジがチンといったので、取り出して、肉じゃがもチンした。暖め完了で、お盆に乗せて、見た。

「どのようになっておるのでしょうか?ご飯も、このおいしそうなおかずも湯気が立っております!」
今の時代は、こんなふうにすべてを暖めることができる。君がいた時代のように、火打ち石で火をおこし、温まるまでつきっきりになる必要もない。もっと、短い時間で食べれる状態になるんだ。
「まるでおとぎの世界に舞い込んだような。」
オレはご飯を食べた。おかずも一緒に。
「このような美味、味おうたことはございません。」
それが今の時代なんだ。んっ?でも、なんで彼女は味を感じれるんだ?さっきはオレが触ったものを感じていたみたいだし。
「あなた様の見られたもの、触られたもの、味を感じられたものが、直接私にも感じられるようにございます。」
って、やっぱりオレ、二重人格になってしまったのか?
「二重人格とはどのようなものなのでしょうか?」
つまり、ひとつのからだにふたつの心が存在することだよ。それも、160年も過去の女の人が?
「そうなのでしょうか?摩訶不思議。少々、眠気が。」
おい、ちょっと待てよ。
だが、彼女はそのまま反応がなくなってしまった。どうやら、本当に寝てしまったようだ。

 さて、困った。またいつ起きて、いろんなことを言い出すかわからない。いったいどうしたらいいんだろう。だけど、こんなことってあり得るんだろうか?でも、実際におるもんな。あぁ~、どうしたらいいんだ?

 オレは大学時代に仲が良かった友人にメールしてみようと思った。この状況をどう思うだろうか?なんらかのアドバイスをくれるかも知れない。まあ、今日は平日でこんな時間からでは即答してくれないだろうな。こんな時はツイッターで聞いてみよう!だけど、誰も信じてくれないよな、たぶん。

 でも、イチかバチかやってみた。どんな反応があるんだろうか?適切なアドバイスくれるヤツがいるかな?「突然、心の中に別人格が現れた。今は寝てるみたい。どうすればいい?」こんな書き込みで誰が返してくれるだろうか?

 だが、反応は意外と早かった。
「ありえねぇ。」
「冗談だろ。」
「それは、明らかに二重人格ですね。」
「一度、ちゃんと向き合って話をすべきです。」
「医者に行け!」
「うらやましい。」
 やっぱり、オレの求める反応じゃねぇ。まあ、もうちょっとあとで確認してみるか。オレはちょっくら食材の調達に出かけることにした。どうせ、手持無沙汰だったし、なかなか平日の買い物はできないもんね。

 スーパーに着くと、かごを持っていろいろと見てまわった。
「おお、たくさんの野菜の数々。」
突然、彼女が起きてきた。
「ここはどこなのでしょうか?何故、こんなに野菜が?」
スーパーなんだから当たり前だろ。
「すーぱーとは、八百屋のようなものでしょうか?」
おいおい、これ全部説明かよ。多分、めずらしいものだらけだから、女には興味深々だんだろうな。明日はパンでも食べるかな。
「ぱんとは?」
百聞は一見にしかず。パン売り場へ行って、パンを見せた。
「これがぱんというものでしょうか?たくさんあります。」
お米を普段食べてるけど、たまにはパンもおいしいので、これを買う。そう思って、いくつかピックアップ、かごに入れた。

「よくわかりませんが、美味しそうでございますね。」
よし。オレは彼女を驚かせようと、ケーキ売り場に行った。
「これは何でございますか?」
こいつはスィーツだ。まあ、帰ったら、食べてみようじゃないの。とってもびっくりすると思うよ。大体、甘いって味は知ってるのかな?
「甘い?柿とかみかんのようにございますか?」
それを知っているなら、感動すること間違いなしだ。
「感動するくらいの甘さ?」
そうだ。楽しみにしてな。
「早く、味わってみとうございます。」
オレはシュークリームと生クリームのケーキをお買い上げ。あとは、缶詰のいわしとさばを買って、スパゲッティの面とカップ麺などをかごに入れでレジへ行った。

「このかご、とても変わったかごですね。とても頑丈そうな?」
ああ、プラスチックだから、結構頑丈だな。
「ぷらすちっく?」
まあ、それは気にせんでもいいよ。今の時代じゃないと作れないからね。多分、君の時代にはないものだよ。
「そうなのですか。それは、銭でございますか?」
そうだよ。硬貨は君の時代もあったと思うけど、今の時代は紙幣って言ってね、紙のお金もあるんだ。
「ずいぶんと変わりましたこと。紙であれば、燃えてしまえば、なくなってしまいますのに。」
まあ、そんなことする人はほとんどいないよ。

 帰り道でも、質問の嵐だった。なんでこんな、でこぼこのない道なのか?とか、ところどころに立っている柱は何?とか、車のことやビルのこと、飛行機とか電車とか、なんであまり林がないのかとか、オレもよく付き合うよな。まあ、まいったわ。

 うちに帰ると、スィーツが気になって仕方がないらしい。早く食べてほしいとねだられる。仕方ないので、さっそく食べることにした。一口、スプーンで口に入れて味わった。生クリームの甘い味を感じて、ケーキのスポンジ部分の柔らかな食べ心地、しっかり味わった。
「これがスィーツなるもの。この世のものとは思えないほどの美味しさ。」
「だけど、あまり食べすぎると太ってしまうので禁物だぜ。」
「これを食べると太るとは?」
「カロリーが多いせいさ。」
「カロリーとは?」
しまった。余計なこと言うと、全部説明しないといけない。大変だ。

 なんやようわからんけど、奇妙な同居生活が始まった。いつ出てくるかわからない。会社では絶対に口出しするなと言っておいても、つい、しゃべってくる。おかげで、言い訳するのが大変だ。家ではやかましいくらいにしゃべってくる。たまには黙っていてほしいものだ。にもかかわらず、それは1か月くらいで終わりを迎えた。彼女は突然、出てこなくなった。ちょっと寂しいような、平穏な生活を取り戻せたというな複雑な気持ちだったが、また、普通の生活が始まった。

 いったい、なんだったんだろう。だけど、そんな思いはいつまでも続かなかった。だって、あまりにありふれていないことは、どんどん忘却の彼方に飛んでいってしまうものだ。オレは、完全にこのことを忘れて、いつもの日常に戻っていった。

 ある日、結構遅くまで残業が続いていて、いい加減眠かったんで、明日に備えて早めに寝ようと、床についた。結構、ぐっすり寝れた。だが、目が覚めるとからだが濡れている。葉の朝露で濡れたみたいだ。やけに虫の音が聞こえる。寝返りを打つと顔に葉が触れ、朝露でもっと濡れる。普通、こんなことってないよな。それになんか寒い。掛け布団を探すがどこにもない。

 どうなっているんだ?オレは目を開けた。そこに見えるのは、どう見てもオレの部屋じゃない。青空が見えている。なんで外にいるんだ?オレは飛び起きた。周りを見渡すと、鬱蒼と草むらが広がっている。遠くに山も見えるし、林も見える。いったい、どうなっているんだ。ここはどこなんだ?

(つづく)

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