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創作と自意識について

初投稿は作曲についての記事でしたが、今回は雑談記事です。
蓮土竜(はすもぐら)の生体(人となり)が伝わればと思います。

noteを始めたきっかけや日々感じていることなどを書こうと思います。

・noteを始めたきっかけ

1曲目の歌詞を書くにあたって、ワードでA4用紙3枚ほど、歌詞候補を書き出しました。
これが楽しい!!けど疲れる!(メロディーに使える文字数に落とし込むのはもっと疲れる!)

私自身、聴く人を限定した歌詞表現はあまり好みではなく、抽象化された普遍的な内容のものを好む傾向にあります。
その方が歌の内容が陳腐化しないので、時代背景が変わっても、現代語に翻訳するだけで、その時代に沿った解釈ができるなと。
また、比喩表現なんかは、まさに普遍性を体現したものだなと。
一方で、急に具体的すぎるところまで場面がクローズアップする振れ幅みたいなものは大好物なので、そういう歌詞をピン差しされるとグッときてしまうのですが。

例えば ”恋の歌” と一口に言っても、恋する対象を明確に書かなければ、"絵" に恋する、"曲" に恋するなど、解釈の余白が広くなるなと常々感じておりまして。

拡大解釈でも何でもいいので、曲が解釈次第で聴き手の人生に寄り添ってくれるなら、それはクリエイターにとっても聴き手にとっても、のちのち血肉になるなと思っていて。

なので、一見つかみどころのない歌詞には、アンテナを張るようにしています(ピピピ)。

こんな感じで、自分の書く歌詞をより洗練されたものにするべく、日々感じたことをバーッと備忘録的に書き出して、抽象化していきたいと思い、noteを始めました。

・創作と自意識について

それでは、本題です。

私はTwitterをやっていますが、SNSで不特定多数の方々の創作活動を目にしていると、「不特定多数(世界)に評価されること=成功」という方程式を容易に頭の中で作ることができてしまうなと、最近思っていまして(今更文字で書き出すのもクサいくらいの言説だと思いますが)。

成功体験に関して解像度が高い人は、上記以外にももっとグラデーションをもった、色んな方程式を思いつくと思うのですが、少なくとも自分のように、学校生活や地域サークル、その他コミュニティで(音楽的)成功体験が取り立ててあるわけではなく、創作における自己評価の基準軸が少ない人は、特にそう受け取りやすいように思います。

それが飛躍して、「自己表現を外に出さずに溜め込む=失敗」なんてことを考えて、潰れかけていたのが、少し前までの自分だったり…(シリアスになりすぎたので、オタク特有の三点リーダーでちょける図)。
ただそんな呪いの方程式(←かっこいい)についても、趣味の範囲で創作をすることに限っては失敗なんてことはないし、プロアマ問わずインプット期間は必要である。
そんなことを意識的に考える一方で、こうしてnoteに投稿することで、変に高い自意識を吐き出しながら、なんとか精神衛生を保っていこうというのが現在の自分です(いざ書き出してみると、なんとも生き辛そうな人間である)。
ただ、自意識が高いからこそ創作をやろうと思えたし、今ではそんな自意識が芽生えたのは幸運とすら思っています。

作曲を始めたての頃は、土日丸々DAWと格闘して何にも成果が上がらないこともザラだったし、もっと友達と遊んだり、外界と繋がった方が良いのでは?と思うことも少なくなかったですが、やっとこさ1曲目が出来たときは、自室で半日小躍りするくらいにカタルシスを得られたので、これは一生涯続けていきたいと思っています(一文が長い)。

つらつら書きなぐりましたが要約すると、自己表現がしやすくなったことで夢もあるけど、挫折も味わいやすい時代だなと(挫折の是非については個人の性格によると思いますが)。
そんな中でも、うまくガス抜きをしながら楽しく創作していきましょ~という話でした。

それでは~。

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