孤独の自覚
「自分は実は孤独だった」
ということに気づいてから、まだ1年もたっていないかもしれない。
中学くらいから独立独歩の人生を歩んできて、幾年月。
考えてみれば私の実家の家族も、孤独というか、全員が独立独歩な感じ。
母は面白い人で、父も多趣味な人。
夫婦関係も家族関係も、今でも決して悪いわけではない。
ただ、実家の家族関係は、たとえばママカフェのみんなのように、ウェットで心が通い合う関係性とはいえないかな。
家族全員が転勤族の根無し草で、父は常に不在。3〜4年周期で全国規模の転勤を家族単位で繰り返していたので、家族それぞれが自分たちの世界の中で、心が通わせられる人も、体験も、体感も乏しかったからかもしれない。
その家族にいたこともあり、自分も独立独歩が板についてしまっていて、ママカフェに出会うまでは自分が孤独である自覚すらなかった。
今は自覚だけはあるけど、相変わらず一人の世界の中で考え、一人の世界で生きることが多いと思う。
外の世界や自分以外の人に、必要以上の干渉はしない。
よくいえば相手を尊重、悪くいえば無関心。
自由放任主義。
心が通い合う関係性をそれほど必要と感じていない。
他人にはあまり干渉しない代わりに、介入する時は自分の中の唯一の物差しである「正しさ」で相手とかかわろうとする。(好んでそうしているというより、それしか物差しを持っていない)
私は孤独に慣れているけど、でも周囲も孤独を好むとは限らない。
それに自分が孤独だと、関係性を深める努力が浅いので、周囲や家族も孤独になりかねない。孤独の「伝染」。
第一、自分自身、好んで孤独を選んでいるわけではない、といいたいところではあるけど、残念ながら一人の世界が上質世界に貼られていることは間違いない。
しかし同時に、体感がなかったにもかかわらず、
「ウェットで心が通い合う関係性」
「親友のような関係性」
には焦がれるほどのあこがれがあった。
それも間違いなく上質世界に貼られている。
問題は、「どちらの上質世界の優先順位が高いのか」なのかな。
おそらく、今でも私の優先順位は「一人の世界」の上質世界の優先順位の方が高いだろう。
自分にとっての
「内側から湧き上がる願望」
は何か。
答えは出ているよね。
Mr. myself?
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