短編 床屋
実家から最寄駅までの道の途中にある床屋「コロン」
くたびれた私服姿の爺さんが、くたびれた髪の爺さんの散髪をしているのを何度か目撃したことがある。ハサミを持っているのが婆さんの時もあった。
私はある時、ここに入ってみた。興味と、もうじき地元を離れることになっていたので、次戻ってくる時にまだ営まれているか確証が持てなかったからだ。
いつもの美容院に行く格好で、駅に向かわず、例の店に入った。
やたら良い音で鈴が鳴り、開いた扉の隙間から古い建物の臭いがした。そしてその臭いのように奥から婆さんが出てきた。
おお婆さんか、どっちかと言えば爺さんの方と話してみたかったんだが。と思いながら軽い会釈をした。
「あんた、ここに髪切りに来たんか」
すぐさま「あはいそうです」と答えてしまったが、どうせなら少しシャレた返しでもすれば良かったかと後悔した。
「あんねぇ、あんたみたいな子が、こんな所に来るもんじゃありませんよ。ねぇ? ほら、これあげるから他のとこ行ってらっしゃい」
しゃがれた声でそう言った婆さんはおもむろに財布を取り出し、私に千円札を渡そうとしてきた。「いやいやそんな」と私が言っても
「いいのよ。ほら行ってらっしゃい」
そういう婆さんの目は、何を考えているかわからない虚ろな目だった。彼女は外から見えたよりかなり高齢のように見えた。
何を考える隙も与えられないまま、私は千円札を受け取り、店を出た。やはり鈴の良い音がした。
外に出ても私は呆然としていた。しかし一度出てしまった以上、いかに自然に立ち去るかを考えるしかなかった。振り返りたい気持ちを必死に抑えて、私は家の方へ歩き出した。
今考えても本当におかしな話だ。なぜ私は言われるがまま立ち去ってしまったのか、私が小心者だから、お年寄りに歯向かうという行為を無意識のうちに避けていたのだろうか。
そして私はその日、なぜか気まずくなってその店の前の道を通ることが出来ず、いつもの美容院に行くことが出来なかった。本当に私の小心者さはどうにかならないものだろうか。
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