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言葉にして発信しようと思った理由

これから、次女の存在が母親の私にどんな影響をもたらしたのかを言葉にして発信しようとしているのですが。

例えば誰かに「(私の気が楽になるから)話したほうがいいよ」と言われた訳でもないですし
発信することで私や、誰かのためになる、と感じたからでもありません。

(厳密に言えば、私や誰かのためになる、とはほんの少し感じるところはあります。だけど動機の主要な部分ではありません。)

極端な話、発信しないまま誰にも話さないまま、私は命を終えても
それはそれでいいことなんです。

だけどね、やっぱりどうしても

私は次女の生と死と愛を、言葉にして発信したい

この炎にも似た想いは消える事がなく、大きくなってきたのです。
それが、発信しようと思った理由です。


書いていくにあたって、心に決めたことがあります。
それは

自分自身に忠実であること
自分自身に嘘をつかない、カッコつけない、見栄を張らないこと

当然ながら、楽しい嬉しい話ばかりではありません。
むしろ、思い出したくないような信じたくないような、闇に葬り去りたいような場面、感情…
そういう事柄についてこそ
私が感じたことをその時の自分にヒアリングするような感覚でアウトプットしていくこと。
そこにエネルギーを注いでいこうと思っています。

さっき、お風呂に入りながら事故当日のことを思い出していました。
その日のことをここに書くとしたら…って。
一瞬にしてあの日に戻って、お風呂で泣きました。

文字を書くたびに
あの日の自分に戻るたびに
きっと涙は出るんだと思います。

「こんなこと、する必要があるの?」

もう一人の自分が尋ねる事があります。

私は答えます
「する必要があるのかないのかなんて分からない。だけどやりたいし、やらなきゃいけない気もするんだよ。」


書くにあたってもうひとつ。

私個人が経験したこと、あくまでもプライベートな内容ですし
だからこそ、事実、感情についても詳細に書こうと思っています。

その文章をふと目にした人が
不用意に傷付いてしまうことを私は望まないので

一部の記事は有料とさせていただこうと思っています。
ご理解いただけると嬉しいです。

あ、でも
コメント欄へ感じたことなどいただくのは大歓迎です!
そこから何かに繋がっていくこともきっとあると思うので…

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