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【歴史小説】六丁の娘 全5章+付録

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「ずっと黙っていて悪かったが、俺の本当の名前は……」。郷里を捨て、妹のしほとともに馬借一揆へ身を投じた渡辺進(すすむ)は、京の六丁でウガヤと名乗る青年に命を助けられる。三人は戦災…
歴史小説「六丁の娘」を、まとめて読んでいただくことができます!「まえがき」「あとがき+参考文献」、…
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「六丁の娘」まえがき

 この小説は、室町時代の渡辺津、および京都を舞台にしています。  渡辺津は、今でも大阪に「渡辺橋」という名前が残る、淀川河口の港です。  もっとも、当時の渡辺津と、今の渡辺橋は、少しだけ場所が違うそうです。  とは言え、大阪湾に向かって開けた、当時最大級の港だったことに変わりはありません。  そこには渡辺党という、海賊のような武士団が縄張りを張っていました。  源氏の出自を持ち、一文字名前を名乗る渡辺党の武士たちは、歴史の表舞台に少しずつ登場しては、すぐに消えていきます。  

六丁の娘 第一章【総集版】

 進が郷里の渡辺津を叩き出されたのは、父の後妻に手を出したからだ。それは間違いない。 「だけど、お兄ばっかりが悪いわけじゃないよ」  妹のしほが、小さな唇をすぼめながら言い募ってくれた。 「あたし、ずっと見てたもん。あのメスギツネ、ずうっといやらしい目でお兄を見てたもん。後ろ肩とか、太腿とかさ。仕方ないよ、あんなでっかい乳袋押しつけて言い寄られたら。あたしなんか、まだぺったんこなのに」 「ありがとよ」  進は鼻の穴からため息をついた。  淀川の流れを左手に見つつ、一刻ばかり歩

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六丁の娘 第二章【総集版】

「久世、綴喜、相楽。そこいらの山城惣国一揆が掟法を定め、管領畠山氏の軍勢を追っ払ったのが二年前のことじゃ」  為次郎は目の下に絵図を広げ、背中を丸めながら覗き込んでいる。きづ川、うぢ川、かつら川と書き添えられた三本の墨が、紙の下半分でややこしく絡み合っていた。 「鳥羽のわしらも一味同心して、洛中への斬り込みを任されとる。できるだけ多く奪い、壊し、燃やす。それがわしらに課せられた役割じゃ」 「ああ」  進はおざなりにうなずいた。その様子が気にかかったのか、相手は腕を組んで片眉を

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六丁の娘 第三章【総集版】

「おう四郎左、橘辻子の方の修築はどうかね」  そう声をかけてきたのは、振売の魚屋だった。小袖の諸肌を脱ぎ、皺くちゃの平礼烏帽子を傾けている。  進は曲尺を肩にかけ、玄翁を片手に、鉋と鑿を入れた革袋を背負っていた。 「昨日の昼には終わったよ」 「ほう、仕事が早いね。あそこは転法輪の三条さんのお屋敷やったかな」 「そう。ご隠居と、まだ若いご当代がいたな。ちょうど将棋仲間が集まってて、何くれとなく手伝ってくれたよ」 「ご隠居は、元大臣と言ったかのう」 「うん」 「あそこはお屋敷と言

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六丁の娘 第四章【総集版】

 徒歩で鳥羽を通りかかった時、例の崩れかけた廃寺を見かけたが、屋根や柱の焼け残りが目立つばかりで、猫の子一匹さえいなかった。  城南宮寺の跡から川沿いに南へ下り、草津湊で三十石の人船に乗った。  しほは小さな市女笠に虫の垂衣を掛け、人形のようにちょこなんと座っていた。 「近江川下りか。山城国の外へ出るのは初めてだ」  ウガヤは戯れめかし、片目をつぶってみせた。脛巾を巻き、菅笠に手甲という旅姿だった。三人連れで、他に供はいない。 「ウガヤは、どこで生まれたんです」 「俺は生まれ

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六丁の娘 最終章【総集版】

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「六丁の娘」あとがき+参考文献

 京都のとある和菓子店は、室町時代に創業し、明治時代の初めに東京奠都となるまで、毎朝欠かさず御所まで「御朝物」の塩餅を届け続けていたそうです。  実に四百年近くの長きにわたり、連綿と続けられていた、ということになります。  もちろん、一代限りの話ではありません。献上する方も受け取る側も、子々孫々へ語り継いで初めて可能になることです。  一体なぜそんなことができたのだろう、と不思議に思われてなりません。  その慣習が始まったとされる時代は、皇室の力が最も衰えていたころだと言わ

【エッセイ】海のない町の灯台

 京都へ来るのは四十年ぶりだ、と母はつぶやいた。 「こんなに立派な駅になってるんやねえ」  腰を伸ばし、鉄骨のアーチ屋根を見上げながらため息をつく。  驚くのも無理はない。  ガラス張り十一階建ての駅ビルは平成九年の竣工で、母が前に来たという時には、影も形もなかっただろう。まだ市電も走っていたのだろうか。  だけど私は、その時代の姿を知らない。だから、昔と比べて考えるということもできなかった。  今の京都駅は、一つの町みたいだ。  JRもあれば私鉄もある。新幹線も発着する。

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