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我流夢分析2 (後)私の矜持

私は、ユングの「夢分析」に少々影響を受け、気になる夢を見たときは、夢の意味について探り当てる「我流夢分析」をしています。夢そのものから発せられるメッセージに加え、その意味を捉えようとするその時も無意識の領域が意外と働いてくれており、自身の深層心理に影響された解釈を得ることができて自己理解に役立ちます。私たちが思う以上に、無意識の世界は意識界である現実世界のなかに広く深く入り込んでいるということを最近になり気付きました。              

ちなみに、我流夢分析のポイントは、小難しいことを考えずに、思うがままに任せて夢の解釈を進めてゆくことです。 目的は正解を当てることではく、自分がしっくりくる夢の意味づけが出来ることが肝要だとユング心理学の分析家である山根久美子さんが本で語られていたので、その説を私は採用しています。なお、今回の夢分析の 夢のあらすじについては、前回の記事「我流夢分析2(前)エレベーターホール」を参照ください。  


■夢の要約

夢のストーリーを要所要所ざっくりまとめると、人の困りごとの手助けをするが行先に辿り着けない途中で手助けの目的を忘れ遊興に興じる財布を失くし焦る、の大きく3つの展開です。これを普通に考えると、理想(利他的な私)と現実(利己的な私)とのズレに苦しむ夢。外的自己と内的自己に引き裂かれた自我、といった解釈に落とし込めることが出来てしまいます。ただ、こうして文字化してみても、何だか出来あいのストーリーに集約されただけで、私宛ての固有のメッセージとして自分の内面に響いてくるものが全く有りません。                

■夢の感情を追いかける

思い直して、今回は切り口を少し変えてみることにしました。上記の3つのポイントを、「夢でそのとき自分が感じた感情」に注目して再度、捉え直すことにしました。   

■私がんばってますアピール

ひとつめの、人の困りごとを解決するためにエレベーターを行き来するときの私の気持ちは、人助けをしなければ、という使命感に満ちています。フロア案内の冊子を開いたり、丸めたり、片手に持ってフロアをあっちこっち回ったり。このときの感情を思い返すと、これらの行為に対し「私がんばっています、ちゃんとやっています」というアピール感や頑張る行為を他人に示すことで周囲の気を引こうとしている感じを受けます。にもかかわらず、行先である相談窓口には一向に辿り着けず、私は次第に無能感に打ちひしがれそうになります。それを受け入れられず、更に必死になり行先へ辿り着こうと躍起になる自分がいます。

■私ものんびりしたい

ふたつめの、女性がソファでリラックスして寝そべっていたり、女性数人が談笑しながらフロアを歩いているところを見て、みんなのびのび過ごしていて良いなあ、女性ばかりの場所だからこんなに開けっぴろげになれるのかしら、と女性たちの姿を見て羨ましく思っている自分がいます。また、フロアのインテリアは全てピンクやオレンジの暖色系に統一されており、あたたかい雰囲気のなか、ここでショッピングやカフェを楽しみたい、あれこれ気にせずのんびり過ごしたいという気持ちです。         

■大切なものを失くし焦る私

みっつめ、赤いポシェットとその中の財布を失くした時の感情は、大切な物を失くしてしまったという恐怖、自分はこの後どうしたら良いかという不安、この先に起こり得るトラブルに対する心配が噴出して、緊張と焦りでいっぱいになっています。                                    

■夢からストーリーを紡ぎ出す

それぞれのポイントで抱いた感情をまとめたら、今度は、その感情の背景を読み取ったり、自身の記憶や感情同士をつなぎ合わせ、生み出されたひとつのストーリーへと落とし込んでゆきます。

ひとつめの人の手助けをしたいという気持ちについて
その時々で最善を尽くしてきたつもりなので、過去に対する後悔の念は無い。では、満足の行く成果を着実に挙げることが出来たかといえばそうでもない。いつだって砂の城を作りかけ波に流されての繰り返し。心のどこかで虚無感や不全感を抱きつつも、それを払拭するために目の前のコトに集中し、とにかく善処し、さばいてきた私がいる。仕事やプライベートにおける自身の役割に徹し、一見、周囲の環境を整えたり、前進してきたつもりでいるけれど、表面に隠された真の問題に対しては、心理的抑圧がかかり、依然として手を付けることが出来ていない。だから、夢の中の私は不全感に覆われまいとして必死に人の役に立とうと躍起になっている。               

ふたつめの温浴施設でのんびりと楽しみたいという気持ちについて
その一方で自分を解放したい気持ちがある。身の回りのことに素直に反応し気ままに過ごしたい自分がいる。夢の中で、人の手助けも忘れ、好きなものを買おうとした場面は、いっそのこと楽な方へ、快楽的な気分に振り切ってしまえと開き直っている心理状態にある。また、警察署のフロアや男性だらけの親睦会のフロアを行ったあとに、女性だけのフロアに着いて、楽しそうだと感じている根底には、日常の仕事中心の生活、いわば「男性的な世界」(理性、思考、判断)と対立した「女性的な世界」(情緒、癒しやくつろぎ)といった相対する価値への羨望、心理的逃避の願望が透けて見える。(昨今の社会状況から、これら対立的な価値観を男性的、女性的と一般化して称することもいずれなくなるのかもしれないが)                             

みっつめ、赤いポシェットと財布を失くし慌てふためる感情の意味   
人の手助けもそっちのけに、買い物という自らの欲求を満たし楽を選ぼうとしたちょうどそのタイミングで自分の持ち物が無いことにハタと気付く。失くし物によって、自身の欲求を優先する即時的な行為を止められたのである。これは何を意味するのだろうか。持ち物、大切なものを失くす恐怖、このあとどうなるのかという先の不安。不安や恐怖を私に抱かせるその大切なものとは一体何であろうか。字面とおり「財布」=金銭を意味するのであろうか。                              

■私の「矜持」

これらの夢のくだりから「自分にとっての大切なものとは何か」というイメージを私は頭の中で大きく膨らませていきました。そして、不意に「矜持」(きょうじ)という言葉が頭に浮かびました。辞書によると、矜持とは、自分の能力に誇りを持つこと、他人の評価を気にせず、自分の能力を信じること、と書いてあります。そして不思議なことに矜持という言葉が頭に浮んでしまうと頭の中で強張ったコリがスーッとほぐれるような、肩の力が抜けるようなあたたかい感覚を体の内側に覚えました。

私は頭に浮かんだイメージ、直観を手放さぬよう、間髪を入れず「私の矜持」とは具体的にどのようなものであるか何とか言語化しようと、自身の内部に集中し耳を研ぎ澄ませます。                 

私の矜持とは何か。それは、私の責任を果たし役割を全うすること。私の周囲の環境を精練し、善き方へ導くこと。言葉ではなく自身の行動をもってそれを示すこと。これらに励み続ける姿こそが私の矜持であるというイメージが心の中でひろがりました。                          

確かに、「世界平和」とか「持続可能社会」とか大きな理想や人類全体で共有、解決すべき問題に対し、地球に生を受けた者の逃れられない責務を感じたり、それに見合った行動が伴わない点に負い目を感じることはまま有ります。ですが、それ以上に私が強く思うところは、身の丈や自分の器というパーソナルな世界の中で、奇しくも縁(ゆかり)を得ることが出来た僅かな人々に対し、常に誠実に向き合い続け、この身が終えるまでその人達に対する責任を果たしてゆかなければならないということです。                 

夢のなかでは、人助けも出来ずにビルを右往左往している自分がいます。「矜持を持つ」など言ってますが、現実の私はたいして立派なことをしている訳でもありません。その時々における最善とは何かを考えたり、問題にぶつかったら自分のエゴではなく、相手の立場や心情に立たなければと自らを諫めたり、とにかく人として在るべき姿を心掛けようとしているに過ぎず、それでも思うようにできず、ああでもない、こうでもないと、日々、悶々とすることの繰り返すばかりです。          

そんな美辞麗句を並べていても、実際は女性フロアのような温泉やカフェでゆったりまったりするように、「まあ、いっかあ。」「十分頑張ったし、このくらいでいいかな。」と楽な方向へ傾くことはしょっちゅうで、振り子が右へ左へ揺れ動く優柔不断な有り様です。そんな中途半端な私でも、それでも最後は、矜持をもって前に進んでゆきたいのです。傍から見れば、効率が悪く、独り相撲で空回りして痛々しい、と見られることでしょう。確かにその通りです。ただ、そうであっても、やっぱり私は私で在りたいのです。 

このような考えが相俟ってか、私は無法図に自分の世界を拡大することを好みません。ひとりよがりな考えですが、私の世界を私が行使する権利を持つ代わりに、その世界に対する義務と責任を私は果たさなければならないと決めているからです。           

■無意識の自己が私をいつも鼓舞してくれている

無意識領域にいる自己が、こうして夢の世界や直観的なメッセージを通じて私を鼓舞してくれている限り、私は暗中をどうにか頑張って進んでゆけると思っています。                               

どうにでも受け取れるような夢の断片ごときから、こうして自分の都合の良いように解釈できることを、自分でも少し呆れたものだと思っていますし、我流とはいえ調子の良い夢分析だと思いますが、一方で、こうやって世界を自分の手で作り上げてゆけば良いのだと無意識の自己が私にそう教えてくれているような気がしています。

以上、全く取り留めなく手前勝手な夢分析で大変お見苦しくなってしまいました。この夢が明日を進む確かな手がかりとなるよう、とにかく毎日を誠実に重ねてゆこうと思います。最後までお読みいただき有難うございました。                               

              

         

            



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