【小説】つれづれ草(1)

これは、なんだろう。
口の端を白く汚しながら、動かしていたブラシを止めた。
ああ。今、自分は歯を磨いていたのか。
なんて思いながら、背後が小さく映る鏡を覗き込んだ。壁に直付けされている小さな流し台に体重を預けるのは心許ないが、思わず両手をついて身を乗り出す。が、当然ながら鏡が自分でいっぱいになるばかりで映り込むものは見えなくなった。
「・・・・・・・。」
鏡から離れ、昨日のシャワーで濡れた気持ち悪い床で足裏をすべらせながら振り返った。あるのは、薄暗い台所。積みあがった食器。濡れた布巾。
「・・・・・・・。」
片目が、油汚れと一緒にこびりついたくらい、ゆっくりと鏡に向き直ると、先ほど確認できなかったものが、やはり映り込んでいる。
「・・・・・・・。」
口の端が乾くと、白い汚れを落とすために余計に水が必要になるのだけれども。ブラシと泡を吐き出して、もう一度覗き込む。今度は鏡面を自分でいっぱいにしないようにして。
「・・・・・・・・。」
常々正常ではないとは思っていたが、ついにおかしくなってしまったのだろうか。
夜の繁華街にも繰り出さなければ、ネットの海を泳いだりもしない。出勤して、寝るという繰り返しに、世の中の危なげな憂さ晴らしを手に入れる機会はなかったと思うのだが。
「・・・・・・・。」
朝起きたら、背後に天使がいた。

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