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やっちゃば一代記 実録(20)大木健二伝

やっちゃばの風雲児 大木健二の伝記
 青果市場の自動車
築地の開業時、青果市場に出入りしていた自動車はわずかに二台。その一台は持倉と取引のあった和泉屋という港区の皇室御用達業者のダットサンで、皇居への出入りに使うためだろうか、車体はいつもピカピカに磨かれていた
 たまたま和泉屋の店員が車を離れていた。健二は「ちょっと座ってみるくらいならいいだろう」と運転席に滑り込んだ。クラッチを踏み、レバーを押し込んだり引いたりしてロー、セカンド、トップ、バックなどギヤチェンジの練習をした。そして、ダッシュボードにぶら下がっているキーをくいっと右に回すと、ぶるぶるんと車体を振るわせ、簡単にエンジンがかかった。
こうなったら健二にためらいはない。市場の正面から築地東支川にかかる市場橋を渡り、交差点を左折して晴海通りを数寄屋橋に向けて走らせる。
それまで汗を流してリヤカーを引いた道路をいまダットサンですべるように走ってているのだ。萬年橋、歌舞伎座前、三原橋と、見慣れた風景が後ろに飛んで行く。ハンドルは軽く、鼻歌まで出て、もうすっかりプロのドライバー気取りである。
 銀座四丁目の交差点。ここは毎日、警官が踏み台に乗って手振りの交通整理をしていた。歩行者がそれを珍しそうに眺めていて、健二も車を三越前に止めると、ひげの警官の動きを食い入るように見ていた。少し大げさだが、あの手振りでセリをやってみたら目立つかもしれない、セリ人の目を引きやすいのではないか?そんなことを想像していると、一瞬、その警官と目が合った。いきなり警笛が鳴った。警官は仁王立ちになって健二を見下ろした。
「免許証を出しなさい!。」
「歳はいくつだ?。」
 「十八です。」
「車に乗るには免許証がいることを知っているか?。」
 「はい。」
「よし、わしの交通整理が終わるまで、三越の前で立ってろ!。」
 口髭の警官はまた交差点に戻っていった。
 衆人環境の中、健二は丸一時間というもの直立不動で立ち尽くした。
初夏の陽射しと恥ずかしさで顔から火が出るようだった。
戻ってきた警官はこぶしをゴツンとひとつ健二の頭に落としたが、それ以上のお咎めはなかった。
「よし、その車で帰って良し!。」 そういわれて唖然とし、ほっとした。
 さすがに和泉屋からは大目玉を喰らい、これで、[出入り禁止]か?
と覚悟したのだが、それを機に和泉屋との取引関係はむしろ深まったのだから、おかしなものだ。健二には鉄拳を上げた相手をひるませるような無邪気さがあった。普段とは違う殊勝な態度に和泉屋の仕入れ担当は「まっ、事故が無くて良かった。」と庇ってくれるのであった。
 それから間もなくして自動車免許を取った。免許取得の難しい時代だったが、学科も実技も一発で通り、あとはオートバイを買うための貯蓄に、仕事にと遊びの境界線がなくなるほどよく働いた。

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