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やっちゃば一代記 実録(9)大木健二伝

ビフテキの東京進出
 持倉への就職と前後して、関西の牛肉ステーキ店が東京に進出した。
銀座二丁目の越後屋ビルに開店した「スエヒロ」は東京に初めて肉料理の
ビフテキを持ち込み、その人気は燎原の火のごとく広がった。
 「健二、スエヒロの担当はおまえだ!」
上司の番頭から言われて健二はぞくぞくした。
スエヒロのビフテキって何だ?どんな味かな?どんな客が食べるのかな?
持ち前の好奇心がむくむく頭をもたげた。
 ビフテキにつきものの野菜はタマネギ、ニンジン、トマトそしてジャガ
イモ。一番骨の折れる仕事は、そのジャガイモを越後屋ビル五階の厨房に
運びあげることだった。四俵(百四十キロ)を納めるのが日課だが、最初の
ころはあまりの重さにたびたび床にへたり込んだ。一俵でさえ健二の体重
を超えていたのだ。ジャガイモは一俵ごと肩に担ぎ上げて運ぶのだが、俵
が滑り落ちようものなら、ささくれたワラ束がカミソリとなって耳を殺ぐ
危険もあった。このため、誰もが前掛けを二枚重ねで着用し、上の一枚を
予め頭と肩に被るようめくり上げておいてから荷を担ぎ上げていた。重量
野菜の扱いは体力と神経の両方が要ったのだが、健二にはもう一枚の前掛
けを買う余裕はまだなかった。
 ある時「おい小僧!芋が傷んだぞ!値引きだ!。」
よろけた拍子に俵を床に投げ出したとき、健二は納め先の番頭に怒鳴りつ
けられた。ジャガイモは多少手荒に扱っても傷まないよう二重俵で梱包さ
れているのだが、その時は、それを言い張るだけの度胸も経験もなかった。
 越後屋ビルで上階に行く一台だけのエレベーターを待っている時だった
大男がふいに割り込んできた。鬢付けでテカテカの髷をした相撲取りだ。
六十キロの俵を担いだ五尺そこそこの健二と六尺豊かな相撲取りが同乗で
きるだけの余地はないが、どちらも血の気が多い年ごろである。
 一触即発か?
 健二は持ち前の利かん気がむくむくし、売り言葉のひとつも浴びせてや
ろうか・・・・・と、睨み返すが、相手は雲突く偉丈夫。勝ち目はない。
喧嘩を売る場所でもなかった。それにしても相撲取りが銀座までわざわざ
ビフテキを喰いに来るとは・・・・・これは相当うまいものに違いない。
力士に対するむかっ腹よりもビフテキに対する渇望をいよいよ強くしたこ
とである。

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