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やっちゃば一代記 思い出(26)

大木健二の洋菜ものがたり
 玉レタスの攻勢でじり貧?!
ローメインレタス
 戦前、レタスといえばチシャ系のローメインレタスの琴でした。産地の八丈島から週一回、船便だけの入荷で、思惑買いの対象にもされました。海がシケると一気に品薄高となるので、市場の業者はお天気の加減を見ながら、冷蔵庫にしまって置きます。それで儲けたり、損したりしていたわけです。
また、当時の八丈島ではセロリ、パパイヤも作っていました。セロリは米国コーネル大学が育種した「コーネル619」が先駆けです。これを昭和10年頃すでに八丈島で栽培していたという事は、生産者に進取の気持ちがあったからでしょう。根っこを山シダで縛り、直立状態で木箱に詰めて出荷していました。パパイヤは千疋屋直送で、その頃としては画期的な名入れでした。こんな小さな島が首都圏にレタスやセロリを一手に供給していたのですから、戦前の洋菜マーケットがいかに小さかったか想像できるでしょう。
ローメインレタスは葉っぱが上向きの立ちチシャで、主脈が時計回りに捩じれているのが特徴です。丈が30~35センチ、重さが400~450グラムとボリュームがありました。葉の巻が強く、芯が黄色くなった頃を見計らって収穫されます。生食のほかに、大型レタスでは、お尻から芯部を抜き取ってひき肉を詰めたのを凧糸で縛り、スープ煮込む料理法もありますね。
戦後すぐ用度関係の米軍兵士をともなって八丈島に出かけると、ローメインレタスはすっかり消えていました。結球レタスが勢力を伸ばし、チシャ系のレタスはしだいに減っていく時代でした。いまのローメインレタスには、かつてのようなボリューム感はありません。といっても、昔みたいに大きなレタスを八丈島でもう一度栽培するには経済的にとても合いません。
ヨーロッパ、ことにフランスの市場で店先に山のように積まれているローメインレタスを見るにつけ、日本の状況はひどく寒々しい感じがしています。
しかし、同じ白人中心のアメリカでもこのローメインレタスはあまり歓迎されていません。アメリカではニューヨークレタスの名で玉レタスが幅を利かせているのです。レタス一つ見ても、アメリカが戦後の日本に与えた影響のほどを思い知らされますね。
 ※ローメインレタス
原産国はエーゲ海のコス島
日本にいつ渡来したかは不明です。
立ちチシャの品種はシュガー・コス、ウインター・デンシティーなどです。
レタスと同じように栽培しますが、収穫の10日くらい前に紐で縛ると軟白化します。玉レタスより香りがありますね。

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