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vol.13 河合神社


 ここか。
 やっとたどり着いた門を前に、汗が額をすべる。立ち寄った本屋で見つけた古本市の張り紙につられてやって来た、下鴨神社の端にある、河合神社。女性の守り神としても有名なこの神社は、美の神でもある。
 正直、美しさに自信はない。そして、諦めてしまったものを今さら願おうとも思わない。ただ、ここに来る女性は大抵の場合、美を願いに来るらしい。ネット情報だけど。
 一礼して境内に入ると、こじんまりとした境内が広がった。下鴨神社と違い観光地然とした雰囲気は全くなく、参拝客も見当たらない。キョロキョロと辺りを見渡しながら進むと、建物に隠れて見えなかった参拝客と目があった。神社でよく見かける椅子に、地元の叔父さんが二人、座っていた。風景に馴染む叔父さん二人は私と目が合うと、楽しげに笑って、小さく私を指差した。
 笑われてる?
 釣りに来ていくようなベストと帽子は様になっているが、神社じゃそうそう見かけない格好だ。ぶらりと立ち寄っただけの格好は、ご利益を求めている風ではないが、この神社の有名たる由縁を知らないという感じでもない。きっと長いこと、女性の参拝客を眺めてきたに違いない。例えるならば彼らは、玉のように美しいと言われる神様の顔を見にきた町男。そして神様に群がる町女を横目に見ながら、「あれもなかなか」とか「お前は無理だ」とか心の内で査定しているんだろう。それで私は、「一人でくるなんて、どれだけ本気なんだ」なんて、半分観光気分でキャッキャしている人たちと比べられたんだ。
 叔父さんたちの視線から逃げるように、右を見やる。鏡絵馬お化粧室と表記された建物が目にとまる。そのなかでは、女性の参拝客が二人、机に向かって真剣に、絵馬にお化粧を施しているようだった。
 恥ずかしさに赤面する。
 本気だと思われた。そうじゃないのに。それなのに、彼女たちに比べてみすぼらしい自分を恥じている。美しさへの探求心はとうの昔になくなっているのに。まさか女性としての恥ずかしさが、私の中に残っていたなんて。
 とにかく参拝に向かおう。
 仕切り直すように体を震わせて、大きな吐息を吐き出す。ただ前だけを見て、一直線に本殿に向かった。
 一礼して、お賽銭を納め、二礼して、二拍手。合わさったままの手を前に、お腹から深呼吸をして目を閉じる。今日は心が落ち着くまでに時間を要したが、他に参拝客はおらず、たっぷり時間を使うことができた。
 いつもありがとうございます。これからもよろしくお願い致します。
 その言葉で締め括って、顔をあげると、さっきまでの恥ずかしさが薄れていた。どうして私がここにいるのか。本来の目的を思い出したのだ。
 私は最後の一礼を深く交わし、晴れやかな気持ちで振り返る。社務所に向かうために叔父さんたちの視界に触れて、また恥ずかしさが増してしまった
が、もう気にしない! と心のなかで強く叫んだ。
 社務所に入ると、笑顔の巫女さんが迎えてくれた。お辞儀をして、御朱印をお願いする。

「書き置きになりますが、よろしいですか?」
「書き置き?」
「はい。このように、すでに書かれているものになります」

 手に持ったままの御朱印帳を、見つめる。
 御朱印帳を始めたきっかけは、出不精の自分を奮い立たせるためだった。流行りの御朱印巡りをはじめることで、外出する意味を作って、それが毎月の楽しみになれば良いと思っていた。だから御朱印選びにも時間をかけたし、実はおしゃれも。私なりに気を使う日になった。
 私にとって、この御朱印に記帳してもらうことは、新しい自分への一歩だった。

「大、丈夫です。お願いします」
「はい」

 白い紙には、確かに河合神社の名と判が捺されている。
 どうしてか、虚しさが滲んできた。大切な一歩を踏み外したような、奮い立たせた勢いが失速してしまったような。書き置きは、確かに自分の手の中にあるのに。
 視線を感じて顔をあげると、優しげな笑顔で巫女さんが首を傾げていた。私は慌ててお辞儀をすると、その場から離れた。どこか戸惑ったまま、カリン水を探す。こういうとき、頭の隅に冷静な部分があって良かったと思う。
 カリン水の看板を見つけて、隣のカウンターに向かう。

「カリン水、一つお願いします」

 お盆の上に乗せられたカリン水を受けとると、社務所の前に並んだ椅子を眺める。視線を少しずらすと、叔父さんたちが変わらず談笑していた。私は叔父さんたちに背を向けて座る。頭にわずかな混乱と、背中に嫌な雰囲気を纏ったまま、カリン水を眺めた。
 透明感のある黄色は、日の光を浴びて煌めき、眩いまでの美しさを、その小さなガラスの器に納めている。

 ”身も心も綺麗に”

 河合神社について調べていた時に目にした一文を、思い出す。芋づる式に、”内側から美しく”という言葉を思い出した。
 私は美しさを凝縮したカリン水を手に取ると、その冷たさに、喉の乾きを感じた。
 唾を飲み込む。焦りを沈めようと一息ついて、手の中の黄金を見やる。溢れてきた嬉しさと一緒に、その黄金を一気に飲み干した。
 その美味しさに息を呑む。
 なんだ、この爽やかさは。甘い。全然酸っぱくない。一瞬で終わっちゃった。まだ飲みたい。ジョッキ一杯分は飲みたい。
 ああ。煌めきが、私のなかに注がれたんだ。なんて思うまで、カリン水のおかわりを頼もうか、悩みに悩んだ。いや、おかわりなんて。なんて無作法で罰当たりだ。って思い直しただけ、なんだけど。
 体の芯から染み渡る、その冷たさに潤う。背中は変わらず暑いし、目の前の女性二人には、どこか憧れてしまうけど。
 なんか、楽しいな。すごく、楽しいな。
 まだ口の中に、爽やかさが残ってる。やっぱり、まだ飲みたいな。今日じゃなくても。
 知らぬ間に、うふふと声が漏れた。
 かけがえのない一ページが、どこでもない、手の中にあることを感じた。


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