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vol.8 六波羅蜜寺

 子育飴とかかれたのぼり旗を曲がると、右手に大きな門が見えた。入り口かと思い柵に手をかけると、「そこやないよ」と、おばちゃんに制された。おばちゃんは「あっち」と言って指差しながら、歩を進める。
 私とおばちゃんが一緒に寺社仏閣に行くようになって、おおよそ一年。私はこの小旅行が大好きだった。
 秋も終わる少し前。長袖一枚では寒い季節。半年ぶりの小旅行に心を弾ませていた。

「神社みたいなお寺ですね」
「そうやろ」

 お寺と聞いて荘厳な灰色の場所をイメージしていたが、六波羅蜜寺は朱色と象牙色が調和した場所だった。中に入ると、左手には開け放たれた売店があった。気になったがまずは参拝が先だろうと、目の前にある拝殿に足を向ける。しかしおばちゃんはその拝殿を素通りし、右手奥に向かった。

「ここは良いんですか?」
「本堂はあっちやねん。そっちは弁財天」

 おばちゃんについていく。二メートル程の観音様の立像を横切り中に進むと、さっき間違えて入りそうになった門の内側にたどり着いた。さっきは門の奥をよく見ていなかったが、門の正面、大きな建物が本堂のようだ。

「上にあがろか」
「上がれるんですね」
「そうやねん」

 本堂の前にはすのこが並び、脇には靴棚が置かれていた。
 おばちゃんは早々に靴を脱ぎ、階段を上る。私はその素早さに慌てながら、急いでブーツを脱ごうとした。まさか参拝で靴を脱ぐことになろうとは、思いもしなかった。気が急くほど、手元がおぼつかない。久しぶりの寒さに冷え性を発症させた指先が、さらに私を焦らせた。
 なんとかブーツを脱いで、おばちゃんに遅れをとりながらも、本堂に足を踏むいれる。
 冷気だ。
 外の空気よりも少し冷たくて柔らかい、澄んだ空気。この小旅行の一番好きな、瞬間。本堂の中に入ると、いつもより強くその変化を感じた。
 十一面観音様を見つめながら待っていた、おばちゃんの元にたどり着く。建物の中は名前にあるように、神社というよりお寺だった。

「ええやろ」
「はい。なんだか落ち着きます」
「せやろ」

 おばちゃんは笑顔で観音様を見つめ、先の人の参拝が終わったのを見計らって、賽銭箱の前に座った。私も、それに習う。
 お賽銭を納めて、お礼。手を合わせて、感謝を述べる。おばちゃんに習った手法に従って参拝を済ませ、あとの人のために立ち上がる。お辞儀ですれ違って、私たちは後方へ下がった。

「少し座ってってええ?」
「はい、良いですよ」

 柱に寄り添うように、並んで座る。見据える先には観音様がいる。ゆっくりと深く息を吸い込んで、静かに吐き出す。何が分かるわけでもないが、気持ちが落ち着いていくのは感じていた。ずっとここに居たくなる。
 おばちゃんが動いたのを目の端で捉え、私も立ち上がる。

「御朱印、むこうやで。行っておいで」
「はい」

 おばちゃんが指差した方に御朱印帳の文字を見つけて、早足に向かう。荷物はおばちゃんが見てくれるというので、お言葉に甘えて、私は御朱印とお財布だけ持って並んだ。二つある受付口の一つが空いて、御朱印帳を差し出す。お寺のおじさんは優しく笑って、嬉しそうに御朱印帳を受け取ってくれた。お願いしてるのはこちらなのに。気づけば私は、つられて笑顔になっていた。おじさんの手元を見ながら、一筆一筆に感動する。御朱印帳を再び手にして、さらに感動した。御朱印を見つめながら、戻る。すれ違う参拝者にお辞儀しながら、おばちゃんの元へたどり着く。

「お待たせしました」
「ううん、ええんよ」

 御朱印を閉じて鞄にしまうと、頭を下げた。
 本堂を出ると靴を履く。案の定、おばちゃんを待たせることになってしまった。すいませんと謝ると、また「ええんよ」と返してくれる。

「そや、小銭持ってきた?」
「はい。持ってきました!」
「なら、奥も行こか」

 事前に大きめの小銭を用意するように言われて、なぜだろうと思っていたが、どうやらその答えはこの奥にあるらしい。おばちゃんの半歩後ろを歩く。牛の銅像を横目にたどり着いたのは、建物を半分に切ったような場所だった。入り口にあった建物の対になっているようにも見える。
 おばちゃんに誘われるままに中に入ると、1メートル程の像が三体、並んでいた。

「銭洗い弁財天さんに、水掛け不動尊さんに、水子地蔵尊さんや」

 池の中の三体のうち、左端の銅像に近づくと、おばちゃんは置かれていた小さなざるを手に取った。

「小銭、入れて洗い。やり方書いとるわ」
「はい」

 差し出されたざるを受けとると、財布を取り出そうとした。片手が塞がっていては無理だと気づいて、ざるを一度元の場所に戻して、小銭を取り出す。大きめの小銭と言われて私が用意したのは、五百円玉だ。それをざるに入れて、杓子で水洗いをする。

「洗った?」
「はい」

 洗って冷たくなった五百円玉を手に、おばちゃんを振り返る。どこかに行っていたようで、こちらに歩いてきた。目があって、おばちゃんが笑う。私は差し出されたオレンジの紙袋に、首をかしげた。

「ほな、これにいれり。キーホルダーはお財布につけるとええんよ」
「ありがとうございます」

 紙袋を受け取って、お礼をのべる。手が塞がってなんともできなくなった私に、おばちゃんはハンカチを広げてくれた。

「小銭濡れたまんまやんか。ここ置き。あっちにテーブルあるわ」
「すいません」

 言われるがまま小銭を置いて、壁の向こうにあるテーブルに向かった。隠れていて気づかなかったが、テーブルの上にはドライヤーまで設置されていた。そこに鞄と紙袋を置いて、おばちゃんが拭いてくれた小銭を受けとる。小銭を握ったまま紙袋を広げると、中からキーホルダーが出てきた。これを財布につけるらしい。チリンと、鈴の音が響く。帰宅してからつけよう。私は小銭をいれた紙袋と一緒に、鈴の音もお財布の中にしまった。お財布を鞄にしまっていると、おばちゃんがなにか思い出したように声をあげた。

「ここにも御朱印あったで。貰って来る?」
「ほんとですか? 行きます!」
「ほな、鞄見とくわ」

 私はおばちゃんの言葉に再び甘えて、財布と御朱印帳だけをもって壁の裏手に急いだ。確か、窓口みたいなのがあった気がする。お守りも置いていたし、お寺の人も居たからそこだろうと、目星をつけて向かう。思った通り、御朱印の文字がある。おばちゃんについていくことに夢中で、見逃していた。
 お寺の人に御朱印をお願いして、一筆一筆を目に納める。三百円を納め、お財布を閉じる。ふと、小窓の脇にオレンジの紙袋が並んでいるのに気づいた。いわゆる、値段が、書いてある。
 視野も狭くなっていれば、考えも浅くなっていたようだ。
 御朱印帳を受けとると、急いでおばちゃんの元に戻った。

「あの! これ、お金」

 お金を差し出すと、おばちゃんは手を振って笑った。

「いいんよ、気にせんで」
「でも、」
「お礼やから。な? いつも付きおうてくれてありがとう」

 おばちゃんは私の目を見て、もう一度笑った。
 付き合ってるなんて、一度も思ったことはなかった。私は連れてきて貰っていると、思っていたのに。

「こちらこそ、いつもありがとうございます!」

 勢い余って、声が響いた。
 これからも、一緒に楽しみたいと、思う。


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