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結論:今、私は単純、ではなく嬉しかったことを見つける名人である。

皆さん褒められることって好きですか?
まあなかなか嫌いな人っていないと思うんですけど、
私もすっごい好きです。すぐ調子に乗ります。

そんな自分に対して、良くも悪くも
「すぐ人に乗せられてご機嫌になれる単純なやつだな」と思っていました。

でも意外と「単純」という言葉では括れないなと思ったので書いときやす。


最近初めましての方に会う機会が多くて。
これから一緒に頑張っていきたいから、挨拶は特に力を入れてたんですね。
自分から。目を合わせて。ハキハキと。
小学生かよ、って感じだけど、遂行してきました。

たったこれだけのことだけど、挨拶をしたうちの一人の方がすごく喜んでくださって、
「気持ちよく挨拶してくれてありがとう!」
という趣旨の声をかけてくださいました。

案の定褒められた私も嬉しくなったのですが、「挨拶」を褒められただけではない気がしました。

初対面の人に気持ちよく挨拶をしようと思ったのは、これから何かを行うときに、他の人の力が必ず必要になるから。助けてもらいたいから。何より、他の人と仲良くなることが自分にとっても嬉しいことだから。

こう思えるようになったのは、きっと今まで自分がそういう環境で育ってきたから。親だったり、友達だったり、先生だったり、地域の人たちだったりと接する中で自分が身につけたものを褒めてもらえたような気がしました。

今までは目に見える「自分の行為」に対して他者の言葉を受け止めることが多かったですが、今はその目に見える「自分の行為」に加え、自分がその行為をするようになった経緯まで着目してもらえてるような気がしています。

これに気づけたのも今の自分の心に比較的余裕があって、ちょっとした「いいこと」に目を向けられているからだと思います。たぶん自分がギスギスしている時に挨拶を褒められたとて、ここまで考えることもない。

こう考えると、私は「単純だから他者からの評価で舞い上がる」のではなく、心に少し余裕があって、他者の言葉を少しだけ深く受け止められるような姿勢になれいて、ほんの小さな嬉しさを通過することなく「今日もいい日だった!」って思える状態なんだと思います。

結論:今、私は単純、ではなく嬉しかったことを見つける名人である。