「知識人」について
現代において知識人たるは、大学教授や専門家と呼ばれる職能人などを想起する。
が、そもそも専門性とは何であろうか。国や政府が定めた指標や認定試験においてお墨付きを取得し、その業界に属しさえすれば、速やかに専門家と呼ばれるのだろうか。
例えば、教員免許を取得し採用試験に合格、その後教壇に立つだけで、果たして「教育分野の知識人」と言えるだろうか、否。
ややもすれば、単なる権威を代弁する存在にしかなりえない。
このような現代の知識人と称する人々の在り方に一石を投じるのが、サイードの主張である。
また、本作の巻頭にはこう訳されている。
政府の有識者会議に呼ばれることに必死で、あたかも日本の趨勢を担っているか如き者たちを思い浮かべると、それが真に知識人ではないと容易に想像できる。
狭い専門性をありがたがるわけでなく、純粋に黒は黒だと判断し、異議を唱えることができるか。
文面だと簡単に思えるが、実際に行動するのは難しい。
また、サイードが唱える「知識人」になったとて、それが世論を、周囲を、はたまた世界を変えることは難しいかもしれない。それでも語り続けなければならない。
みんなで「知識人」を再考しよう
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