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一年経って 大腸癌と兄と私③

ずいぶんnoteへの書き込みをしていなかったように思う。

単にスマホを変えてからログインしてなかっただけなのだが。

2021年9月25日に兄が大腸癌の診断を受け、今2022年11月29日。

1年と2ヶ月が過ぎた。

兄はまだ、生きている。

いいや、もしかしたら「腹膜播種」でさえ完治できていた?という状況から事態は急激に悪化した。

診断されたS字結腸癌はあの時完全に取り切った。
兄の手術は成功した。
全部取り切れました。
転移も見当たりません。

そう言われた。

ただ、初見でステージⅡと言われていた兄の癌は開腹したらステージIIIだったのかもしれないし。癌の診断から手術まで数ヶ月も手術の予定が組めなかった。(コロナ禍だったからだろう)その数ヶ月で進行したのかもしれなかった。

手術後に再発防止のために行われる化学療法を6ヶ月受ける。
と言われてFOLFOX療法を行った。
6ヶ月この化学療法の苦しみに耐えれば。兄は解放されると疑わなかった。

手術してからの兄はみるみる元気になった。
術後の絶食や腸に負担のない食生活のために痩せてはしまったが、もともと筋力がある人なのでそれほどガタ落ちして崩れてはいなかった。

颯爽と現れた兄に真底安堵した。
あぁ、私のかっこいい兄。
私はブラコンの妹。
いつまでも私のヒーローの兄。
頼れる兄がいた。

再発防止の化学療法ではずいぶんと手足の痺れに悩まされながら。吐き気と闘い。
副作用に耐えながら。
それでも再発防止の為に。
と。気丈にしていたし。
本人も治るもの
と思っていたと思う。

なのに。
6ヶ月の化学療法も半分やったかやらないか。。。
あれは何クール目の後だったのか。

付き添いが姉だったので詳しい月日は覚えてはいない。

再発を告知された。

先生の言い方は非常に曖昧だったと思う。

肝臓と。
腹膜にあるかもしれない。

かもしれない?
小さすぎるそれは、CTには映りづらい。

あるのか。
ないのか。

あるの?
ないの?

そんな状態の伝え方ある?

腹膜にあるかないかなんて、
ものすごい差なんだけど?

でも。
あるのだろう。

腹膜播種
と検索ワードを入れるだけで余命がついて候補にあがる。

FOLFOX療法は終わりを告げた。

「カミサマ アンマリダ」

兄が何か悪いことしたのだろうか。
兄は我々家族のために懸命に実直に生きてきた。
父の闘病とも長兄としてやり遂げた。母のワガママと闘病も。1人でこなしていた。

働いている我々姉妹に気を使い。
全てを背負っていた。

兄は我慢強過ぎた。
長兄らしいと言えばそれだけだが。
たくさんのストレスを抱えていたに違いなかった。

次に提示されたのは5FUだ。
昔からある薬だが非常に効果があると聞いていた。

しかし、点滴時間は5時間前後に及んだ。
吐き気止めを最初に投与するのだ。

兄は愚痴を言わない。
辛いとも言わない。

だけど。
この薬は髪の毛が抜ける。
下痢も酷い。
手足の痺れはついに末端から徐々に上がり脛までいく。
兄は車の運転をやめた。
車を手放した。

しかし、この抗がん剤は効いていた。
2022年7月ごろには実に腫瘍マーカーの値は安定して、CTで見る限り、肝癌は小さくなり、あの腹膜播種でさえ、消えかけている。

と言われたのである。

あぁ、仏壇で父を呪った甲斐があった。
私は父を許したくなかった。
ワガママに生きてきて、逝った父を。
仏壇に手を合わせるとき。
何度も何度も父と祖父を脅した。

兄を助けて
ではなかった。
兄を救わなかったら許さない。

そう私は手を合わせて祈った。
代々続く我が家は兄で8代目だ。

兄は結婚しなかった。
できなかった。
14歳も離れている妹がいて。
(なんと邪魔な事か!)
梨農家を生業にして。
常に忙しく。
父親は不摂生で早くから糖尿を煩い。
しかし、父はずいぶんと昔の人間で。男尊女卑で母の事は仕事の道具という扱い。
今で言えばただのDV夫だったであろう。
そんな家に誰が嫁に来るのか。

兄は悟っていたし、結婚する気はなかった。

そんな中で幼い頃から必死に兄は兄をやり続けた。

そんな人がなんでこんな病に。
いや、そんなに苦労させたからだと。

父を呪った。

しかし、同時に自分も呪わずにはいられなかった。

しかし、兄は奇跡的に治るかもしれない。

そう思ったのに。

9月に。
そう、ちょうど罹患から1年だろう。
1年経った。

腫瘍マーカーの値が2万に膨れ上がった。

急いでCTを取ると。

腹水があります。
と言われた。

腹膜播種が別の場所にもできたのだ。

無理をさせたからですか?

私は8月にコロナに罹った。

8月には梨の収穫がある。

私は手伝う事も出来ない。
まして近寄る事はできなかった。。。


そもそも、
この仕事が故に。

果樹という農作物故の悩みだ。

野菜ならタネを蒔かなければいいのかもしれない。

しかし果樹は受粉させると実るのである。

先行きの病状がわからない中で。
あの時は、受粉する時は
再発の告知を受けた直後だろうか。。。

この後の身の振り方。
この後病と仕事をどうするか。

先行きが分からない中で。
行ったそれは。
秋に差し掛かる前に実るのである。

癌になったら。
病状の把握はもちろん。

自分に降りかかる未知の分岐点を考えて仕事をしなくてはならない。

今の時代は癌だと診断を受けても。
治る確率があがり、治療も多岐にわたる。

どうやって仕事しながら。
どうやって治療していくのか。

もちろん会社なら傷病休暇を取ればいいかもしれない。
化学療法をしながら仕事をするかもしれない。

自分にかかる負荷は。
家族が背負う負荷は。
金銭面は。

人手の確保はとても重要だ。
自分の生き方も価値観も。重要だ。

私には家族がいる。
兄が独身で人柱のように働いてる中。
幸せに結婚してさせてもらった。

でも。
私は決して幸せではない。
不幸でもないかもしれないが。

何故私が仕事を辞めて実家を手伝うことにしたのか。
それは、ひとえに息子が発達障害児であり、その告知とともにわたしは適応障害になり。

仕事をして低体重児として産んでしまった息子に真摯に向き合うために。

ずっと手放すつもりのなかった。
自分の仕事を手放した。

実家の家族には伝えていなかった。

気まぐれに会社を辞めて。
実家を手伝い出したと思っていたかもしれない。

いいや、表面上は第二子の出産後保育園が兄と別園になってしまった事で通勤時間が大幅にズレて通えなくなったからだ。
と伝えてあった。

実際は第二子の出産と同時に息子に診断がおり、心を病んで。体重は35㎏まで落ちた。1年はまともな生活を送ってなかったと思う。

そんな私は4年かけてやっと動けるようになり。
なんとか前を向きながら。

しかし、兄の手術と同時に小学校1年にして不登校になった息子と。4歳の娘を抱えて。

一体わたしの優先順位とはなにか?

と問いながら。

息子の事を言い訳にしたくないのに。

上手く動けない自分と。

最愛の母と兄の今後を考えて。

当事者とその家族はどう向き合えばいいのか。

という事に直面している。

何という声かけならあなたを傷つけられずに済むのか。

私の家族のことを言えば言い訳になってしまう。
だけど、あなたが思ってるほど私は幸せではない。
時間があるわけでもない。

それを告げることはかえって良くない気がした。

お前はのうのうと生きていて、ズルイ。

そう思われる方がまだ、いくぶんかマシな気がして。

ステージ4のあなたになんで声をかけてあげたらいいのか。

痩せた体を前にすると言葉が出ない。

今、服薬しているのはスチバーガという薬だ。

この薬は副作用が非常に強い。

そのくせ延命治療なのだ。

それでも

周りの家族は。

生きていて欲しいと願う。

きっとこれからどんどん苦しくなる一方で。
現実を突きつけられる一方で。

私にしてあげられる事はなんなのか。
考えては打ち消し。

でも。
どんな姿でも
ただそばにいよう。

実家に帰るのに車で片道1時間。

多分必要なのは言葉じゃなくて。
時間なのかもしれない。

そう思いながら。

後悔したくないと思うのに。

あの姿とあの副作用でしゃがれた声と。
辛そうな体を前にすると。

どうしていいか。
どうして欲しいのか。

きっと何も望んでないかもしれないけれど。

もぅ、私に語気で当たるエネルギーさえ無くしてしまった兄を前にすると。

どう接していいのか。
分からない。

でも、生きてて欲しいのだ。






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