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自分を受け入れる旅:男の子✖️Mの子にとって恋愛はなぜ難しいか?(往復書簡)その7


自分自身の中にいる男の子へ

君の提示してくれた問い。
恋愛と性愛。
どちらが僕らにとって困難なのか?
そのことについて、まず答えたいな。
君の言う通り、恋愛を通過しないと性愛には辿り着かない。
この感覚は僕にもある。

そして、僕の存在が恋愛の場面で、不利な要素になるというものその通りだと思う。
ただ、君の言う通りに恋愛で求められる男性の役割を果たしたとして、その先に僕らの求める性愛はあると思う?
僕はないと思ってる。

ごめん。
君の問いにまだ答えてなかったね。
恋愛と性愛どちらがより困難か?

僕にはこの二項対立に意味があると思えないんだ。
君も言ってたように、この二つにはそれぞれ違う困難さがあるもの。
それを二項対立的に並べるのは意味があるように思えない。

だから、どっちかじゃなくて、それぞれの困難さについて語ろうと思うよ。
まず、恋愛の困難さ。
君の言った通り、恋愛で求められる男性の役割を果たせないことが、僕らが恋愛に困難さを感じている要因だね。つまり擬態できないんだ。

男の子に擬態できない。
だから恋愛が困難なんだ。

僕の存在が、男の子に擬態させない。
そのことは、僕自身がよくわかってる。
でも、擬態したところで、その恋愛は本当に上手くいくのかな?
このことは、手紙でさらにやり取りすることになると思うから、ここまでにするよ。

今度は、性愛の困難さだね。
性愛の困難さは、僕自身がその困難さの象徴だね。
男の子でありながら、Mの子でもある。
それが性愛の困難さを生み出してる。

男の子でMの子は需要がないんだ。
そのことを僕はよく理解している。
もちろん、君もそのことはよく理解してると思うけど。

でも、需要がないとただ嘆いていても、何も手に入れられないんだ。
そのことも君はよくわかってるだろ?

今日はこの辺にしておこう。
また返事を待ってるよ。

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