郵便屋さんとスーパーカブとその日常。4

note版郵便屋さんとスーパーカブとその日常。です。

こちらのエッセイはアルファポリス、カクヨムでも多重投稿されています。
最新話はアルファポリスでチェックしてみてください。

さて、前回はコネで入った職員の前編でお話が終わりました。
今回はその後編から始まります。


コネを使って郵便屋さんになった人の話。後編


今は随分と少なくなったようですが、1990年代では地域にもよりますが、何処の町にも一軒は暴力団事務所がありました。
いろいろ問題のある今回の主人公Mさんがある暴力団事務所に裁判所からの特別送達を配達に行った時のお話しです。

この特別送達というものは取り扱いが面倒な書留です。
配達証自体が普通の書留と違い、いろんな事を書かないといけない特別な配達証です。

配達先では配達日時、配達先の住所と受取人本人のフルネームのサインか印鑑。代わりの者が受け取った場合はフルネームのサイン。それを一字の間違いなく書かなくてはいけません。裁判所に提出する配達証なので一字でも間違うと再度そのお客さんに書いてもらったり訂正印を押してもらわないといけないとか物凄く面倒なんですね。

その書留を暴力団事務所に届けようとしたMさん。
事務所の前でバイクから降りようとしたのですが、あまりの緊張でカブから降りずにぐるぐる回ってたらしいのです。

どうしようどうしよう?

暴力団事務所への特別送達の取り扱いに完全にビビったMさんは迷った挙げ句に配達せずに持ち帰ってしまうんです。

それの一部始終を見ていた暴力団の方から「おい!なんでお前んとこの郵便配達がうちの事務所の前をウロウロして帰ってくんや⁉︎今日は書留が来るはずや?なんで配達せんのや⁉︎説明せい!!」とお叱りの電話が掛かってきたのです。

このMさんの一件で、配達班の班長と課長代理、そして課長と謝罪に向かい事なきを得たのですが配属の班員達はもう我慢の限界です。
「辞めさせろ!!Mのケツ拭きに我々は限界です!!」
「ウチの班ではもう面倒見きれない!!」
大騒ぎです。

ついにA郵便局も動きだし、Mさん本人に戦力外通告が出されました。
約2年程働いていたMさん。郵便屋さんを務めるスキルが無いのは周りからも明白でした。
そのMさんの母親もその事は予測できていたようです。
最終的にはMさんの母親が局長に丸三年は勤めさせて欲しい。3年勤めれば退職金も支給される。そうすれば郵便局の仕事を勤め上げたことになる。(自衛官の任期満了と同じ考えですね)とお願いしたそうです。

もともと代議士からのコネで入局した職員ですのでその母親のお願いは受理され、雇用3年でMさんの郵便屋さんは幕を閉じたのです。
その後Mさんはどうなったのかは分かりません。
今になって思えば、何かしら発達障害等を持っていたのかも知れません。その息子を少しでも社会人として育て上げたかった親心がその母親にあったのでしょう。
その母親には郵便屋さんのイメージはよくドラマやCMにあるのんびりした田舎で配達したり配達先のお客さんとのんびり談笑したりする、ゆるい仕事に思えたのでしょうね。
その当時はそういう郵便局エリアもあったのかも知れませんが、実際は毎日配達に追われたり、男子校の様な職場ですから班員同士で配達スピードを競ったり配達が速い職員が腕がいい、実力がある。といった実力主義な職場です。

現在ではこれにさらに時間指定の配達やAmazonなどの小物配達がプラスになっているので更に時間に追われる仕事になっています。私がいた頃にはこれに営業ノルマがついていました。現在はノルマの方は少し緩くなってるそうです。
もし、現在の郵便局にこのMさんが就職していたらきっと1ヶ月も持たないと思います。

今回はコネで入局したMさん。そしてそのMさんの母親の親心のお話しでした。

今回もご愛読ありがとうございました。

バイトから正局員に。郵便屋さんの1日の仕事。

郵政外務職員の試験を難なくパスした私は1990年11月1日付でA郵便局第二集配課に配属する事になりました。
バイトで入った班にそのまま在籍です。
「4月採用だったら今年の年末年始はゆっくりする事も出来たのになあ。残念やったな?」と、仲の良い先輩局員がからかってくれます。
そう、この年から私は退職するまで年末年始は働き詰め決定です。

いつかは辞めるつもりだった郵便屋さんですが、この頃になると先輩班員達に私も打ち解けていて仕事が楽しかったので結果的に正式に郵便屋さんになれて良かったと思える様になりました。
それと、友人達は会社員や大学生という肩書きの中、国家公務員という肩書きが他と違うという変な優越感があったのです。例えば、レンタルビデオの会員証を作る時でも職業欄に国家公務員と記入。
ね?何か他の人と違う感じありませんか?
私だけですか?失礼しました。

では、当時の公務員時代の郵便屋さんの1日のお仕事はどういった流れで進められていたか?
今回はそこを中心にお話しします。

A郵便局では集配課は8時出勤です。
まず、郵便体操が始まります。これは郵便局独自のラジオ体操の様な体操です。
ラジカセからラジオ体操の様な号令が入った音楽が流れます。
この郵便体操の音楽は私が退社するまでカセットテープで流してました。
令和の時代にカセットテープって味があるでしょう?

体操が終わると郵便課が配達区別に区分した区分棚から定型郵便物を抜き取り郵便ファイバーという青色の長方形のケースに入れていきます。それを自班の各区の机に置くと、今度は定形外郵便の入った大型ファイバーを自班の各区に置いていきます。これは少々重いです。

まず定型郵便から自分の配達区の区分棚に郵便物を割り振って入れていきます。
これを「大区分」と言います。
配達区域によって違いますが、縦5段横20列ほどの区分口のマスがあり、区分口の左上のマスから配達スタートで上から下に順番になって右下が配達終わりといった感じに順番になっています。
定型郵便を大区分すると次に定形外を大区分していきます。
二つ折り厳禁の郵便物は無理に棚に入れません。別にします。

大区分が終わると班ミーティングを行い、その後郵便を配達の順番に並べる「順立て作業」を行います。
配達スタートの区分口になる一番左上のマスから郵便を抜き取り、机の上で配達順に記載されてる「順立てファイル」を見ながら、郵便物を配達順に並べます。
この時に一部転居が無いかもチェックします。
慣れると道順ファイル無しで順番に並べれる様になります。

続いて書留の交付が始まります。順立て作業中に郵便課から交付準備が出来たので取りに来て欲しいと周知があるので郵便課まで取りに行きます。
数を確認したら授受簿に印鑑を押印します。
書留を保管庫に入れ、残りの郵便物の順立て作業を終わらせ区分棚のマスに入ってる順立て済みの郵便を太い輪ゴムで把捉して午前中の配達分を配達カバンに入れます。
小さいタイヤが付いている滑車に載せてある大型のファイバーの中に道順にしてある大型の定形外郵便を太い輪ゴムで把捉して載せます。
あとは書留を道順にしてカブの鍵の交付を受けたら出発準備OKです。
自分のカブに郵便カバンを取り付け、後部に取り付けられている荷物入れのファイバーの中に定形外郵便を載せて出発です。出発時間はおおよそ10時から10時半ごろです。

午前中の配達が終わると郵便局に戻り(配達地域によっては局に帰らずに現地の休憩所を利用して休憩を取ります)昼休憩を12時半から13時45分取ります。
この昼休憩も12時30分から45分と13時30分は休息時間で仕事の進み具合の関係で取らなくても良くて、12時30分から13時30分は休憩なので取らなくてはいけないというものでした。後で知ったのですがこの休憩、休息の取り方は郵便局独自のやり方で民営化になって数年後には休息は15分間、休憩は45分に変更されます。

昼のミーティングが終わると昼の出発準備をします。
だいたいの郵便局には順立て作業の補助者としてパートを雇っていてその方々(大半が主婦)が午後の分の配達分の順立てを午前中に終わらせているので、その郵便を持っておよそ14時から14時半頃を目処に出発します。
郵便物が多い日は昼からも順立て作業をします。

昼の配達が終わって帰局するとカバンやバイク後部の荷物を入れる大型ファイバーの中の残留点検。書留の配達証などの枚数確認。郵便課への書留の返納。事故郵便(転居郵便やあて所に訪ね当たらない郵便等)の処理を行い、1日の仕事が終わります。
定時は16時45分です。

以上が公務員時代の主な郵便屋さんの1日です。
これが後に公社化になったり民営化になるにつれ、手作業だった作業に機械化の流れが入っていきます。
この辺りの事もまたいつかお話しできたらと思っています。

今回は淡々と郵便屋さんの1日の流れをお話ししたのであまり面白みが無かったかもしれませんね。

次回は郵便屋さんになった私が初めて乗った郵政カブのお話をしたいと思ってます。
バイクやカブ好きな方はお楽しみに。

今回もご愛読ありがとうございました。


50CCの郵政カブ。

1990年11月1日に正式に郵便屋さんになった私もついに自分のバイクが与えられました。

私が初めて乗った配達バイクは50CCの郵政カブ。(MD50)

みなさん、ここで質問です。
郵便屋さんの乗っているカブは何CCだと思いますか?
これ、ほとんどの方が50CCの原付だと思ってます。
正解は原付は原付なんですが、原付2種で乗れる90CC(現在は110CC)のカブです。
私も郵便屋さんになって初めて郵政カブが原チャリでは無いという事を知りました。

話を戻しましょう。
郵便屋さんになった私ですが、この頃はまだ車の免許しか持っていなかったので90CCのカブには乗れません。
ですが、このタイミングで郵政省が人員不足の解消の為に50CCしか乗れない方も採用できるように90CCと同じ郵政特別仕様の50CCの郵政カブを実戦投入したのです。バブルらしい話でしょう?

正局員になっても小型二輪の免許を取るまで自転車で配達するのか?と思われていたのですが、私が所属していたA郵便局は私の住んでいる県では一番大きな郵便局で、後に郵政のモデル局になる規模の郵便局でしたのでその新規に採用された50CCカブが一台配備される事になったのです。

それを私が乗る事になりました。
A郵便局での初の50CCカブの最初のライダーは私なのです。
すごいでしょ?

初めて配備される50CCカブに他の先輩局員も興味深々です。
「サイズはほとんど変わらんな。一回り小さいか?」
「タイヤが少し細いか?」
「エンジンが小さいな」とかいろんな事を言ってました。
「なんで新人のお前がこんな新車に乗れるんや?」とか、私の父の友人がA郵便局の役職者だった事を知ってる先輩は
「あの〇〇の口利きで局員になった奴は特別やな」とちょっと嫌味を言う人もいましたが、そんな事18歳の若造には何の事かわかりませんし、そんなの関係ねーって感じでした。
それよりも自分のバイクを与えられたのが嬉しかったのです。

普段から郵便局の通勤に当時ヤマハから発表されたばかりの新車TZR50を使っていた私ですから、カブを運転することはすぐに慣れました。
エンジン始動は90CCカブと同じキック式です。
クラッチ無しのシーソーペダルのギアチェンジは前のペダルを踏み込むとシフトアップ。後ろのペダルを踏み込むとシフトダウン。
前のペダルを踏み込むとシフトアップするのがまるでレーサーのギアチェンジのようで好きでした。
しっかりと慣らし運転もしましたよ。

この50CCカブは新車のうちは割と元気がある車両でシフトアップするたびにフロントタイヤがポンポン浮き上がる感じがするんです。
まるでその頃にハマっていた世界GPの GP500のマシーンがコーナーを立ち上がる度にフロントを浮かすみたいな気分を味わえるんです。
毎日、配達しながら脳内世界GPを走ってました。
初めて自分用に与えられた、市販車とは違う特別生産されている郵政カブ。
それはまるでワークスマシーンを操るGPレーサーの様な気分を私に与え、そのカブに乗って配達する事が私は楽しくて仕方ありませんでした。

この50CCカブも息が長い車両で90CCカブが110CCに変わってもしばらくは各郵便局で現役配備されてました。終盤はほとんどボテボテの車両が多く90CCや110CCから乗り換えると話にもならない程走らない遅い車両が多かったです。
110CCカブがモデルチェンジされた後にセルスタート式の110CCのスケールダウンされた50CCカブが配備されましたが、私の班には配備されなかったのでそれはどんな乗り味だったのか私は知りません。
新車の内は元気に走るとは思いますが…

今回は私が初めて乗ったカブの話でした。
カブ主の皆さん。いかがでしたでしょうか?
郵政カブについて質問がありましたら感想にて聞かせて下さい。
わかる範囲で良ければお答えします。

では、今回もご愛読ありがとうございました。

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