見出し画像

ニコライ2世皇后アレクサンドラ・フョードロウナの生涯【シリーズ3】

第一次世界大戦勃発

第一次世界大戦の勃発は、ロシアとアレクサンドラにとっては極めて重要な出来事でした。

この戦争は、ロシアとドイツが敵国同士になり、ドイツ出身であるアレクサンドラはラスプーチンとの噂もとともに、「ドイツ女」という非難の声が高まる。アレクサンドラ皇后の評価が不名誉な理由は、おそらく第一次世界大戦による敵国ドイツ出身であるのと、ラスプーチンの関係の噂だと思う。

アレクサンドラ自身は、ドイツのヘッセン大公国出身であり、兄・エルンスト・ルートヴィヒはヘッセン大公でありドイツ軍に従軍していた。姉・イレーネは、ヴィルヘルム2世の弟・ハインリヒ王子と結婚していた。アレクサンドラ自身はヴィルヘルム2世のいとこでもあった。そのようなドイツとの結びつきが強いため、ロシア国民からは、ドイツのスパイに関わっているとか、ドイツの利益のために行動しているという噂が絶えなかった。しかし、アレクサンドラは、ロシア愛国主義者で、ドイツに対して憎悪を抱いており、ヴィルヘルム2世の行為が許せなかった。実際アレクサンドラはお付きの女官に対して「私はロシアで二十年間暮らしています」「ここは私の夫と私の息子の国です。私はロシアの幸福な妻として母として生活をしています。私の心のすべてはこの国に結びついているのです。」と話している。

第一次世界大戦勃発により、ロシアの首都であったドイツ風のサンクトペテルブルクは、ロシア風のペトログラードという名称に変えられた。ペトログラードでは、アレクサンドラが兄のヘッセン大公エルンスト・ルートヴィヒを匿っているという噂があり、その他にもアレクサンドラとラスプーチンがベルリンでヴィルヘルム2世と毎晩会談している。そして不名誉な和平交渉を行っているという噂もあった。 

ともかくアレクサンドラは、ロシア愛国主義者であり、愛国心に燃え、自分の病気を忘れて熱心に病院の業務に没頭した。アレクサンドラは看護婦研修コースに入り、看護師の資格を取っていた。娘のオリガとタチアナと一緒に従軍看護婦として、兵士の負傷に手当した。


従軍看護婦の制服を着たアレクサンドラ

アレクサンドラとラスプーチンの国政介入、そして内政の波乱


ニコライ2世、アレクサンドラ、ラスプーチンの風刺のポスター
第一次世界大戦中、国民の不満はこの3人中心に向けられていた。

1915年、ニコライ2世が軍の指揮を執るために前線に赴いたときに、内政はアレクサンドラに任せておいた。そこでもラスプーチンの助言によって、政治を行った。アレクサンドラは、ラスプーチンの助言によって、わずか16ヶ月間で、4人の首相、5人の内務大臣、3人の陸軍大臣の罷免を行った。このためロシア宮廷や国民の批判・反感が高まる。「1915年半ば以降、官僚のピラミッドの頂点を形成したかなり立派な有能なグループは、ラスプーチンの任命者の急速に変化する継承によって堕落した。」とフロリンスキーは日記に書いてある。

アレクセイ・ポリヴァノはロシア帝国を活性化させたとされる優れた役人であったが、アレクサンドラは「私はポリヴァノ陸軍大臣の選択が気に入らない。彼は我々の友人(ラスプーチン)の敵ではないか」と言った。

ニコライ2世の従叔父でニコライ・ニコラエヴィチ大公は、ラスプーチンを嫌っていた。 


ニコライ2世の従叔父、ニコライ・ニコラエヴィチ大公

アレクサンドラは常に専制政治を支持していたため、皇帝として絶対的な権力は決して手放してはいけないとニコライ2世に説得した。ニコライ2世宛ての手紙に「専制君主らしくして下さい…主人らしく領主らしく振る舞って下さい、あなたは専制君主なのです。」と書いてある。さらに彼に「ピョートル大帝、イワン雷帝、皇帝パーヴェルになりなさい。彼等を皆殺しにしなさい」と忠告した。アレクサンドラは、ロシアとその専制君主制を救うために奔走した。それは夫の特権だけではなく、未来の皇太子の権利を守るものでもあった。

ロシア皇室では、アレクサンドラが皇帝を通じて国政に与えた影響力と、ラスプーチンが彼女に与えた影響力について、国民の挑発し、皇帝の王位の安全と君主制の存続を危機にさらすと考えられた。ロシア皇室のメンバーの中でもアレクサンドラ自身の近い親戚筋のアレクサンドラの姉・エリザヴェータ・フョードロウナと従妹・ヴィクトリア・フョードロウナが調停者として選ばれ、アレクサンドラにラスプーチンを宮廷から追放し、ロシア皇室の評判を守るためように説得したが、アレクサンドラは彼女の意見を聞き受けいられなかった。ロシア大公たちも何人か皇帝に進言したのも効果はなかった。このような不穏な空気の中で、1916年秋から1917年年明けにキリル・ウラジーミロヴィチ大公の母親・マリア・パヴロヴナ中心に一部の皇族が集まり、近衛軍内4個連隊の協力を得て、アレクサンドロフスキー宮殿を包囲し、皇帝を退位させて、未成年の皇太子を即位させて、キリル・ウラジミーロヴィチ大公が国政を掌握するクーデター計画を練ったとも言われている。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?