ケアラーってなんだろう


 私の家庭は両親とも自営業で大変に忙しかった。最近聞くようになったヤングケアラーという言葉に上の姉が当てはまる。 
すずめの戸締まりという映画には高校生のすずめを育てた叔母さんが登場する。叔母さんは叔母さんなので実の親なら遠慮なく『今日は忙しいからパンでも買ってって〜』とか言いそうなところでも、きっちり手を抜かずに型を取った可愛い人参をお弁当に詰めていた。
すずめは独身の叔母さんの頑張りっぷりをやっぱり娘でもないので、『こんな子供みたいなお弁当は誰も持ってこないから作んないで!』とか言わないのだろう。

私の両親は育児に手が回らなかった。その姿を見ていた姉は私が子供の頃持ち帰ってきた工作なんかを紙袋に取っておいた。高校の入学式にけばけばしい化粧とスーツでついてきた。母と並んで。ものすごく違和感がして目が回っている様な感覚だった。


年が離れているから娘であり妹であるという感覚だと言われたのは10代の終わりの頃だったと思う。
こうして思いつくまま書いたことはどこか私を変な気持ちにさせる。

すずめの様に追い払えない環おばさんに似ているのか?
環叔母さんは姉の子供であるすずめにどう向き合ったら良いかわからないが、とにかく懸命に愛を注いできた様にも見えた。
映画の2人は親子ではない反抗期と自立をなんとか乱暴にやってのけて絆を離さずに成長していく。
私は私で、(意図せずにそうなった)親からのネグレクトと言葉で闘うことのなかった迷路の様な反抗期をほぐしてほぐして今に至る。
そして、もうひとりのケアラーである姉に対しても何かしら反抗期的なアクションが起こるのだろうか?

私はどこか姉が鬱陶しい。心配性で疲れる。逆にこちらが励まさないといけないと思う。一生懸命に対応しないと跳ね返さないとしんどい感じがする。
すずめと環の様に決してそれだけではないが、距離感は離れがちな方が楽なようだ。年が離れている事で話も合わないのかも知れなかった。女性同士の牽制の様な会話の難しさも感じる。

『嫌いな人を無理に好きになる努力はしなくていい』と言ってくれたのは姉である。親に対して遠慮しながら成長した妹に向けてそう言った。私が絶縁したい(親と)と言った時にそう言ってくれた。そして、言いたくないなら姉の私にも何も言わなくていいからと気遣ってくれた。

横澤夏子さんのコントを見ていると、この人は結局いい人なのか嫌な人なのかわからないなぁと思う時がある。すごく細かいところまで人間を観察していて、いいとか悪いとかじゃなく本音なんてぐちゃぐちゃだということかなあ。

人と向き合った後に疲弊することがよくある。子育て中の私は今はただただ自分第一を目指す。マイペースなんてあってないような気がして。

可哀想、ほったらかし、そんな印象を姉が口にする。聞くまで感じたことがなかった。親が死んで可哀想だから頑張った環さんの『あなた、可哀想』の部分、そこが余計なのかも知れない。

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