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何を聴いたらいいんだ

皆さんが好きなものはなんですか?僕は音楽です。たぶん。

なんとなく楽しかったり、悲しかったり、時々驚いたり。思い立ったことのほとんどを一週間ほどで知らんぷりできちゃう僕でも、音楽を聴くことだけは続けてる。なんとなく。だからたぶん好きなんだと思う。ところで好きが強すぎるとどっかでくじけてしまう時が来ますよね。だからこのぐらいがちょうど良いんだろうな。まあそこの話は今回別にいい。

一度逸れるが、ファッションはその人の感性のパッケージになっていると思う。色に感じるイメージも人によって差異があるだろうし、それをどう拾って配置するかにも個性が出る。服の丈もスタイルもそれぞれで効能が違う。シルエットの大きい服ならゆるそうな人、Yシャツなら真面目っぽい人、ラインの入ったオレンジスウェットならジャイアン。つまり言いたいのは、選ぶものがその人のアイデンティティになるし、人となりがある程度押し測れちゃうということ。

同じことが音楽にも言えないか、ということだ。定期的に考える。聴いてる音楽に人となりは多少なりとも出ると思う。類は友を呼ぶというが、同じ系統の音楽を好きな人はやはりすこし似ているような気がする。カネコアヤノや折坂悠太が好きな人とは気が合うし、メタル好きとはなんかちげぇーなってなる。

とにかく、聴いてる音楽はその人のアイデンティティになり得る。結構なことだ。聴くものによって外からそういう風に見られるのは、良い悪い置いといて仕方がない。しかし、問題なのは

得られるアイデンティティの旨味のために音楽を聴いていないか?!

ということ。今回言いたいこと、これです。

おしゃれに見られたくてSuchmos聴いてる人、アンニュイに見られたくてVaundy聴いてる人、一味違うと思われたくてインディーズ漁ってその上独占しようとしてる人、いませんか?

音楽は外向的に聴いてはダメなんですよ。ダメは言いすぎたか。でも誠実じゃないと思う。聴き手はある意味内向的にそれを楽しんで、咀嚼して、消化して、血なり肉なりにする、それが理想の姿勢だと信じてる。音楽が目的ではなく手段として扱われているのが気になってしまう。

でもこの音楽アクセサリー現象は必ずしもそういった人種だけによって繰り返されるものではない。誰の頭にもこういう悪魔は居ると思う。「これ聴いてたらかっこいいだろうな、個性的に見られるだろうな」、ダサいことだけど、僕も思ったことがある。カネコアヤノ好きな自分、、いいじゃんって。ダッサいのお。

じゃあこの悪魔の目の届かないような音楽って何を聴いたらいいんだ。結論、答えなし。逃げられません。どんな音楽にも色があって隙あらばアクセサリーにできちゃいます。だから常に気をつけなくちゃいけない。でもまあそれも一つの楽しみ方なのかなあ、、またぶれぶれだ。

結びに入る。この記事は自戒の意味を含んでいるが、読んでくれた人もできる限り、もしくはこのまま、音楽を自分をよく見せるための道具にしないよう気をつけてほしい。何か実害があるわけではないけど、音楽が正しい方向の先にあってほしいから。

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