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正しい生き方

年々、人のことを放っておくことが世の中のデフォルトになっているように感じる。
様々な背景があると思うけど、関わっても損をするだけという考えが根強いのではないか。

例えば、政治に対しても、気を揉んでも、行動を起こしても何も変わらない。
それが日常的にも馬鹿な上司や嫌な同僚に対して、何か自分がアクションを起こしても変わらない。そういう風になり、昔から波風を立てないことを良しとされてきた日本人が、より一層、人との関わりを持たなくなっている気がする。

昔はお節介で、人に手を差し伸べることがあるべき姿、と思ってきた私でも、最近は極力何事にも関わらないように努めてきた。
関わっても損をするだけ、何も得ない。特に転職を重ねるごとにその思いは強くなっていた。

でも、どこかで「そんな自分でいいのか」と自問する。
例えば、厄介な友達がいたとしよう。
自分で問題を起こしておきながら、困ったときには連絡をしてくるような友達。
自分が困ったときは連絡が来るけど、私が困っている時は平気で知らん顔するような友達。
でも、まだ友達と呼べる間柄は保っているような存在。
その人が、トラブルに巻き込まれたことは自業自得だ。そう言ってしまえば凄く簡単で、そのように振る舞った方が、こちらの労力も使わずに済むだろう。

けれど、それで良いのだろうか。

先日、ディズニーチャンネルで放映中の「カーダシアン家のセレブな日常 シーズン4」を見ていると、クロエカーダシアンの下記の場面に考えさせられた。

カーダシアン家のセレブな日常 シーズン4 EP.3から


クロエカーダシアンはカーダシアン姉妹の三女で、NBA選手のトリスタンと子供を設けているのだが、トリスタンの度重なる浮気で、トラウマになるぐらい傷つき、彼とは距離を置いていた。
でも、彼が母親を失い、24時間介護が必要な弟の責任を持つこととなった矢先、自宅が浸水するという災難に見舞われた。そんな時、クロエはトリスタンと彼の弟の二人を自宅に住まわせ、トリスタンと共に弟の介護をしている。

その時にクロエが何回も言っていた言葉は「それが正しいことだから」。

ついつい、人との関わりで辛い思いや、しんどい思いをした時、「もう嫌だ。自分ばかり馬鹿みたいだ。」と感じるだろう。
そうなると結果、損得で人との関わり方を考えてしまう。

「こんな声をかけて良いのか」
「手を差し伸べても良いのか」

でも、損得ではなく、それがあなたの人間としての価値観として「正しい」と思えるならば、行動して良いのではないか。
私は、そう思うようになった。
だからこそ、嬉しい言葉も、慰めの言葉も、救いの手も、それが人間として正しいことだと思えば、迷いなく動きたい。

そうでないと、後悔した人生を送ってしまうのではないか。
自分が自分でなくなってしまう気がする。
もう少し、シンプルに素直に生きて良いのではないか、そんな風にに思う。

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