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【都トムインタビュー前編】ニモテンは赤とんぼ

お笑いファンがこぞって集まるライブに欠かせない存在なのが、ジンセイプロ所属のコンビ・都トムだ。もともとピン芸人だったふたりはユニットから正式にコンビを組み、2023年の『キングオブコント』では準決勝に進出した。
そんな彼ら、実力は周知ではあるが、パーソナルな部分はまだあまり知られていないかもしれない。前編では、それぞれが芸人になるまでのお話を聞かせてもらった。

──現在ライブシーンでの活躍が目覚ましいおふたりですが、お笑いが好きになったきっかけはありますか?

高木払い(以下高木):ルーツのルーツは小学生のとき、親戚が集まる場所とかでふざけていたことかなと思います。それでみんなが笑ってくれるのがうれしくて、漠然とお笑いみたいなものが好きっていうのがありました。テレビでは『はねるのトびら』とか『内村プロデュース』、『爆笑オンエアバトル』とかをよく観ていましたね。

可児正(以下可児):幼稚園のとき、毎日登園すると連絡帳に小さいシールを貼るっていうシステムがあったんです。みんなは動物とか乗り物のシールを選んでいたんですが、僕はまわりと同じことをしたくなくて、赤とんぼのシールを1年中貼って、最終的に台紙にある赤とんぼのシールを全部貼りきったんです。そのときの気持ちよさを今でも追い求めているのかもしれません。こんな感じで、何の役にも立たない努力をして快感を得るということがお笑い芸人ならできるかなと思って。

高木:普通の社会だったら役に立たない努力なんてしちゃいけないもんね。

可児:卒園の日、先生がフェルトのキーホルダーをひとり一個ずつくれたんですけど、僕のはちゃんと赤とんぼでした。別に赤とんぼが好きなわけじゃなかったんですけど。
僕、Xで、自分について書いてあるポストをいいねをする代わりに、ニモテンについて書かれているポストをいいねしているんですけど、それに近いものがあるかもしれないです。僕にとって、ニモテンが赤とんぼです。もちろん赤とんぼよりニモテンの方が断然好きですけどね。

──そこから実際芸人を目指した理由は?

可児:ふたりとも誰かに憧れて芸人を目指したとかではないかもしれないですね。

高木:確かに。ただやりたいことができる場所がお笑いだったって感じです。
僕はほかにやりたいことがあったわけではないんですけど、可児さんは「芸人以外だったらこの仕事をやってみたかった」っていうのはけっこうありますよね。

可児:保育士にもなりたかったです。仕事としては全然違うものですけど、僕の中では保育士もお笑い芸人もそんなに変わらないので、芸人だけが「夢追い人」みたいな言われ方をするのは違和感があります。保育士さんの中にもやりたいことをやっている方はいっぱいいるはずなので。
僕の兄は小学生のころから『踊る大捜査線』に憧れて警察官になったんで、兄の方がよっぽど夢追い人ですよ。今めちゃくちゃ楽しそうです。

──おふたりとも大学を卒業されたんですよね?

高木:結局卒業はしたんですが、一度辞めたいと思ったことはありました。高卒でお笑いを始めたら、大卒の人より4年長く芸人をやれるわけですよね。20歳のとき、そのことに焦りを感じて、もう2年大学にいるのがもったいなく感じたんです。
それで、親に養成所に入りたいということを伝えました。今までそんなことを言ったことがなかったので親にはすごく反対されて、「大学は卒業してくれ」と言われました。残り2年間大学に通って、2年経っても僕の気持ちが変わらなかったのを見て、親は「いいよ」と。

可児:僕はMVの監督になりたくて芸術大学に入ろうとしていたんですけど親に反対されて、総合大学に入りました。大学では喜劇研究会に入っていたし、急に「芸人になりたい」と伝えるよりは衝撃は少なかったかもしれないですね。

高木:もともと“一般企業への就職”みたいなのではないものを目指していたから。

可児:ただ、僕のサークルの同期が大手の時計の会社に就職したということを母親に言ったら、さすがにため息をつかれました。

★都トム
キングオブコント2023準決勝進出

高木払い(たかぎばらい・写真右) 神奈川県出身、1992年11月13日生まれ、スクールJCA24期出身

可児正(かにただし・写真左) 滋賀県出身、1994年7月9日、ワタナベコメディスクール29期出身


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