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Ⅰ大学病院時代@東京 ①研修医 その1

Ⅰ大学病院時代@東京

①研修医 その1
大学6年間を無事終え、合格率90%、合格して当たり前、という医師国家試験にも通り、4月から勤務開始、という流れを誰しもが思い描くことでしょう。
しかしここに良くわからない制度の不思議がありました。

厚労省からの医師国家試験の発表は何と5月に入ってから。
でも病院勤務開始は一般の日本企業に合わせた4月から。
つまり、病院で医師として働き始める始めの1か月は、国家資格もまだ与えられていない「見込み医師」として働くのです。
患者にしてみれば恐ろしいこと極まりないでしょう。
もちろんその期間は大した仕事も責任も与えられませんが、とは言っても見た目や立場は医師な訳ですから、なんだか後ろめたさを感じながら勤務していました。

さて、勤務先選択に関しても記しておきます。
こちらも医療界独特のものだと思います。
今では「マッチング制度」というものがあり、医師が希望する研修病院を選び、病院側が選別採用する方式が確立しています。
当時は大学→大学附属病院が一般的であり、系列以外の病院で研修医勤務をする者は一部でした。
大学6年生の毎日が国家試験勉強漬けの期間、病院の各医局(○○科)が説明会という名の飲み会を開催し、医局医師となった大学時代の部活の先輩などが中心となって勧誘を行います。
その中で進む道を決めることになるのです。(○○科の医師になるということ)
元々継ぐ病院やクリニックが決まっている医師の子供や、固い意志で進む道を決めているもの以外が半数以上の浮動票ですので、奪い合いです。
美味しい話や、先輩としての圧力など、あの手この手でお誘いいただくのでした。
そして、そこで「入ります!」と言えばそれで終了。入局=入社決定。
翌日からは勧誘する側として、同期を同僚にしようと口説き始めます。
大分昔の記憶ですから定かではありませんが、確か医局の長である教授にご挨拶したくらいで、正式な入社手続きはしたかどうか。。。
ましてや病院HRと顔さえ合わせずに入職となりました。
附属の病院以外であれば、きっと正式な手続きがあるものなのでしょうが、あの頃はそんなものでした。

話を5月に戻しましょう。
念願の医師国家試験合格発表に安堵し、ようやく正式な医師となり、いよいよ医師としてのキャリアが始まりました。
今とは異なり、あの頃の研修医の基本給は 0 でした。
これは殆どの大学附属病院で勤務するものなら選択する「博士課程」、つまり大学院へ卒業と同時に入学するからです。
この「医学博士、Phd」という肩書については後の章で記します。
資格があるとは言え、学生ですから日中の勤務は「授業」とみなされるから、だったのでしょう。
確かに患者診察や、データ集めだけでなく、自身のテーマに沿った実験などの時間もありました。
大学付属病院は診療の場でもあり、学びの場でもあるため、このような理解し辛い状況だったのだと思います。
当直代が3万円ちょい、大学病院当直勤務17時~9時で1万円を切る対価です。
流石に食ってはいけません。
そこで提携している外勤=バイトに出ることになります。

どこの私立病院も、公立病院でさえも、医師が十分いて、正職員だけで勤務シフトを賄うことは困難です。
そのため、大学附属病院のように、多くの医師を抱えるところと提携して、定期的に医師を送り込んでもらうことで成り立っています。
日中の外来であったり、夜間や休日の当直であったり、都内であったり、隣県であったり。
各医局ごとに提携先は異なり、内容や待遇も様々です。
基本的に、研修医はあまり条件の良いバイトはあてがわれません。
どの世界でも同じです。
忙しい、キツイ、面倒、寝れない、遠い、などなど。。。
まだロクに診察や手技も覚えていない研修医がそんな所へ回されるのですから、こちらも、患者も、バイト先病院も堪ったものではありません。
ですがそれが当時の実際でした。今はもうそんなことはありません。
研修医は基本的に単独でバイトできないことになっているはずです。

そんな訳で生活費稼ぎ、兼、経験値稼ぎのため日中は大学病院で、夕方移動して夜は提携病院で、朝になりまた大学病院へ、の日々となりました。
週末も概ねどこかの病院の中にいたものでした。

次回は研修病院出向について記して参ります。


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