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「また今度」は罪悪感?【思考メモ】

機会は望まないと生まれない。

「今度」は望んでないのと同じかな。

どうせ望んでいないなら「今度」と言わなくてもいいのに言ってしまうのは、一種の罪悪感からかもしれない。


今度と言わなければ「私はこの人とまたの機会を望んでいない」ことを受け入れることになり、おそらく本音は「望んでいない」のだろう。もしくは今の全ての時間を埋め尽くしている全ての出来事を押し退けてまで新しくその人との時間を作るには値しないと決めている。ところがそこに「相手を蔑ろにしてしまった」という罪悪感が伴い、「いやいや、望んでないわけじゃないんだよ」という言い訳で自分の罪悪感を打ち消そうと「また今度」と言ってしまうのかもしれない。


今回はバスの車内で書いているので普通にスマホでの文字入力。

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