ネガティブを隠そうとしてきた自分と向き合い始めた話

ここに今書き始めながらいきなりすでに、「こんなこと書いて何の意味があるのか」と自分に問いかける自分がいる。

そう。日常、常に常に、自分の考えること、なすこと、そのすべてをジャッジする自分が横に張り付いている。この人格の一人ががいつもいつも「そんなネガティブなこと書いて何の意味があるの?」といい、また別の人格は「ネガティブなことまき散らして世界を暗くするつもりか?」と正義をなげかけてくる。

だから、今まではこんな自分のことは書けなかった。果たして、もしここにこれらの自分の想いや気づきを書いたことで何かを超えることができるのなら、それはチラシの裏なりipadのメモ帳なり白い壁なりに書きなぐったところで効果は同じはずだから。

ところが。これまでも、何度も何度も頭をよぎる。

インターネットの世界に、世界とつながる世界に落としてみろと。頭の中の誰かが声をかけてくれる。声をかけてくる、なのか、声をかけてくれる、なのか、今の私にはまだわからないけれど、とにかく、理性的な私はどこに書こうが同じだと思っているにもかかわらず「何かが違うのだ」と、その声は訴えてくれている気がする。


周りの人を見ていると、とにかくうらやましく感じる。あんなに精力的で楽しそう、うらやましい。人に囲まれている、うらやましい。やりたいことがはっきりしている、うらやましい。悩まず判断を下せている、すぐに実行できている、うらやましい。世界に貢献できるような思考回路を持っている、うらやましい。

そんな自分が嫌で、超えるためには何をしたらいいのか何年も何年もあがいてきた気がする。

たぶん、その一部は成功しているんだと思う。明らかに前よりも、感じる幸せの量が増えたから。朝起きるときの憂鬱感も激減したし、昼間のふとした瞬間の憂いもなくなったし、仕事をしている間にふとやってくる無価値観もなくなったから。

それでもまだ足りない。何が、かというと、それは、基本的にはまだ周りの人をうらやんでいる状態であることには変わりないということ。何かを目にした瞬間に見えるもの、感じるものが、ポジティブであるかネガティブであるか。できればそれはポジティブでありたい、と私は望んでいる。世の中の幸福を感じている人々や幸運に恵まれている人々は、まず瞬間的に、自然とポジティブに目が行くようになっていると聞いたことがあるから。

ただ、これは、意識してできるようになる類のものではないと思う。魂が磨かれていった末に得られるスキルのようなものなのだと思う。そうすると、意識的に行おうとしている今の自分は、まだまだ未熟ものであるということになり、「あぁ、まだ駄目か」とちょっとだけ、ほんの少しだけ凹むことになる。

果たして私が今回この文章をしたためるに至った理由が一つあって、それは、「書くことで乗り越える」という方法もあるのかもしれないと思ったから。

正直なところ、私は自分の暗い部分について表に出すことはとても嫌いだ。できることなら葬り去りたい。でも、日々私はそれと一緒に生きている。これは事実だ。そして、そんな現実を変えたいと思っている。ならば、葬り去って隠すのではなく。自分はとっても明るい人間で、暗い部分なんて全くないよ、だなんてまるで嘘の人生を生き続けるのではなく。自分のなかだけに隠し持っている暗い部分を、表に出すことで「やっぱり、あったよね、暗い部分」と認めることから始めてみようかと思い至った。

何事も、変えるためには、乗り越えるためには、まずはその存在を認めることから始まる。「ある」と認めない限りは触れることすらかなわない。ないものは変えられない。だから、私には暗い部分がある。変えたいと思っている部分がある。それを、こうしてこんな場所に書きしたためることで、自分なりに「存在を認める」という行為にしたいと思っている。いや、今、した。


実は日々瞑想するとともに、体感覚を育てている。体の感覚は育てればちゃんと敏感になるもので、心の動きがより繊細に感じられるようになる。例えば、緊張しているときは心臓のあたりがとても固く硬直して感じられたり、逆に自然の中でゆったりと散歩をしているときはじんわりとして温かみの感覚が全身に広がるのがわかる。

今こうしてここに書き始めたときは、実は半分泣き出しそうな感覚と、若干の緊張と、そして、ちょっとだけ体の広がりや暖かさが広がりそうな感覚のその入り口のような存在を感じていた。

いまここまで書くに至り、緊張はなくなり、体の中の塊が一つ溶けだしたような柔らかい温かみを少し感じている。やはり、誰かの声が私に言い続けてきたように、ただのチラシの裏やメモ帳に書きなぐるだけでなく、こうしてここに書き出すことにもまた進歩成長の糸口があったのかもしれないと、今感じている。

ほっこりして力を抜き、そっと余白を増やしていくお手伝いがしたいと思っています。一緒にお手伝いしてもらえたら嬉しいです。 サポートいただいたお金は、神社にご寄進したり、いただいた分お祈りを捧げたり、大好きな飲み物(ココア・紅茶)代として自分の癒しに使わせていただきたいと思います。