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片想い万歳

こんにちは🌞
先日、夫にノーパンをバラされました
荷台の嫁 かおりです。

温泉にて、
お風呂上がりに着替えるときにパンツをスルーしてズボンから履くので
周りの人から見たら「あらま、この人パンツ持ってくるの忘れたんやわぁ」と
おっちょこちょい女だと思われているんだろうな、うふふ。
なんてことを考えておりました。


まあ、パンツの話を二回連続でしたところで仕方がないので
今回は、前回話題に上がった「嫌われる勇気」について補足をしよっかなと思います。



「嫌われる勇気」という言葉を聞いたとき、わたしが思ったことは


「そんな勇気わざわざいる?」


そうです。
わたしは生まれながらに嫌われることを何とも思っていないタイプだったのです。


だからといって別に無敵なわけではなく、
そんなわたしも好きな人に嫌われたり失望させてしまったときは一瞬ショックを受けます。
ちょっと泣いたりもします。


そのことについて向き合ったあとに行き着くのはいつも

「ま、嫌われてもわたしは変わらず好きやしいっか」



浮上するのが人一倍早いのです。
必殺「ま、いっか😉」です。
こざっぱり生きてます。



相手が自分のことを好きになるか嫌いになるかはコントロールできません。

また、それはグラデーションになっていて
なおかつ心は持ち主にしか全てを見せてくれないので
どれくらいか測ることも、比べることもできません。


だけどその代わりはっきり分かることがあります。


それは、
自分が好きか嫌いか。


相手の心の中は分からずとも、自分の心の中は分かるはず。

「嫌われているんじゃないか」
などと、見えもしない妄想に怯えるくらいなら自分の心が叫ぶ
「あなた好きだ!」という声に、
誰かを好きだと想える自分に、
好きにさせてくれた魅力的な相手に、
ありがとう!ありがとう!と拍手を送ろう。

どれだけ嫌われたり拒絶されても、
自分の好きだという気持ちだけで満足していると好かれようと取り繕ったりする必要もない。
媚びない人生って楽しい。
片想い万歳🙌


大切な人と哲学や思想が違っていても合わせる必要もない、
命を祝い合うこと、お互いの幸せを祈ること、それが調和であり愛するということ。

嫌われる勇気とは、愛する勇気なのかも。


わたしの額になぜか指を添えながら鼻をプープーいわせて眠るこの人と結婚したのも、
彼に嫌われようがどうなろうが、
命が尽きてもなお、
わたしのこの愛は変わらないという確信があるからなのです。



生きる実験はつづく