読んだ本「永遠の吉本隆明」

「永遠の吉本隆明」橋爪大三郎 洋泉社

吉本隆明入門、解説本。吉本さんの著作や思考の変遷をかいつまんで追っている。100分de名著の「共同幻想論」「日本左翼史」を読んでいたのもあって、おさらいするように読めた。著者の学問的探求の中での吉本さんに対する立ち位置も語られていて、その語りも面白かった。全共闘運動はいつも気になる存在・・(って話して共感してくれる同世代(1980年代生まれ)ってあんまりいないと思っていたら、子どもの保育園つながりの読書好きママ友に「わたしも!」という人がいて、びっくりしたっけな・・。

 改めて吉本さんの視座で世の中見ていて、下記の部分を読んで、吉本さんなら、すでに人々が健忘してしまった「コロナ」の渦中と、それが過ぎ去った今、何を発言したかなぁと思った。

ついでに、吉本隆明を援用して情報社会を論じていた「遅いインターネット」(宇野常寛 幻冬社)を再読したくなった!現象を現象のままとか、脱イデオロギーというスタンスがいいね。

P166「マルクス主義の描くような、客観的・目的論的に確定した歴史のルート ーこれが信じられれば、未来の存在と方向は明らかである。それは、資本主義の
向こうに、ない。それがどんなに豊かで、矢のように進歩していくと見えても。しかし、この歴史を信じ続けるためには、今日、あまりにも多くのことに目をつぶり、不条理な教条の鎧を身にまとわなければならない。どうにも、苦しすぎる。
そこで、この歴史の外に出てしまう。と、こんどはすべてが現象の渦巻きと見えるだろう。
現象の渦巻くところ。そこでは、同時代が互いに覗き込みあう構造(情報化)が生まれ(それしか生まれず)、メディアがそれを加速する。
過去の健忘症+未来への本質的無関心。関心が同時代へ圧着される。
新人類の基礎的症候群。」

「永遠の吉本隆明」(橋爪大三郎・洋泉社)P166


「吉本は、同時代を離脱する方法を手にしたと気をよくする。ただしこれは、“批判的”方法でない。現象を現象のサイズのまま、自在に(重曹的に)観察・記述するばかりだ。背に世界視線を背負いながら。あたかも空中カーのように。この構図によると、吉本が注目を集めるのは、彼がなにか、近未来について“新しいこと”を教えてくれるからではない。

二次資料を使っているのだから、どこかで聞いたことのある話がほとんどだ。

そうではなくて、ほかならぬ彼が、いまのべたような脱イデオロギー的空中姿勢をとり、観察・記述を行う(ようにして社会を眺める)ことが”新しい“のである。」

「永遠の吉本隆明」(橋爪大三郎・洋泉社)P167

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