読んだ本 リンさんの小さな子

図書館の棚を見てて、あっこの本!と、思って、取り出して読んだ。
「リンさんの小さな子」(著者 フィリップ・グローデル  訳 高橋啓 出版社みすず書房)

既読の本で、いい本だったなという印象をもっていたが、まるで初めて読むような感じで、ほんとに読んだ本だったっけ?と、自分の記憶は自分で捏造したのではないかと思った。

主人公は1人の老人。「リンさん」という名前のようだ。冷たい風の中で船に乗るリンさんは、どこから来て、どこに行くかわからない。亡くなった息子の赤ちゃんを抱いて、国を離れ、どこかの国へ難民として入ったらしいとしかわからない。

たくさんの人の中にいる名前のない人。リンさんは、すれ違っても、忘れてしまうような人のように思える。色や音がない冷たい風が吹く地に老人は立っている。ユトリロが描く街のような風景を思い出した。

リンさんは、難民事務所で寝起きをするようになる。ある日、リンさんは、公園のベンチに赤ちゃんを抱いて座る。老人に声をかける男。陽気で、屈託がない。

そのひとときが、老人の暗くて寂しい世界に色をもたらす。たった1人の存在で世界の見え方が変わる、こんなことって、あるなぁと、男と出会うシーンに思わず涙が出る。

読者は、リンさんが、誰かと向かい合って会話をするのを見る。彼の口から、名前が「タオ・ライ」さんであることを聞き、リンさんに生気が宿ることを感じた。

難民事務所での機械的なやりとりに、リンさんは心を閉ざし、何も言わない。ただ一つ「こんにちは」という言葉を教えてほしいと、言う。その国の言葉、「こんにちは」さえ、教える人がいなかったのかと、リンさんの心細さを想う。

リンさんは、バルクさんと出会ってから、毎日ベンチに行く。
教えてもらった「こんにちは」を思い出して言う。バルクさんと会い、煙草を吸う、微笑み合う。

よれよれの服を何枚も重ね着して、赤ちゃんを抱く老人と、太った大柄の男の組み合わせに、街ゆく人は好奇の目を向ける。好奇な目を向けられようと、2人の間には、2人にしかわからない豊かな時間の流れがある。

リンさんの白黒の世界に違う色が波紋のように広がり始める。リンさんは、よそよそしかった街に香りがあることに気づく。リンさんの世界は生き生きと立ち上がる。全てのものが、リンさんを置き去りにし、無関係に動いていた世界の中で、リンさんも世界の一部となっていく。そのきっかけは、たった1人の人と出会えたこと。

リンさんの世界が静かに、少しずつ変わっていく様を、少ない言葉で描いている。静かなトーンの本の世界に心が静かに、じわりと暖かくなる。

この本は、実家の本棚にある。
確か、本屋さんで働いていた時に買った気がする。奥付けを見ると出版は、2005年とある。やはり、働いていた頃だ。今はもうない働いていた三省堂書店高島屋店の文芸の棚、どの辺に棚があったか、蘇ってきた。

文中に、他者の存在が、自分の中に隠れていた記憶を呼び覚ます場面があり、一冊の本と再び出会っても同じようなことが起きると思った。

ふと、この本は、「システム思考」的にも見えると、思った。抽象度高く、システム思考を示してる、本フェアを組むなら、どんな本が入るかなと、考えてみたくなる。


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