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中国日記*1996年夏 その1

この記事はかつて「joyful music」という自サイト(すでに閉鎖)で公開していた旅日記を移設し、加筆修正したものです。
今から20年ほど前の文章なのでやたらとテンションが高いですが、若気の至りだと思ってご海容くださいませ。
それでは「初めての海外・初めての中国」編をお楽しみください。

初めての海外、初めての中国

 1996年7月17日、私は大学主催の中国語短期留学班のみんなで、中国に出発した。引率の先生は英語がご専門で中国語はできない、ほかの学生たちは1・2年大学で中国語を学んだものの、ほとんど中国語を解せずという状態。それでも予定通りに物事が進めば、何の問題もないはずだった。

 初めての海外にワクワクしながらフライトを楽しんでいた私。が、もう大連に着くという頃、中国語でアナウンスが……訳も分からずなんだなんだと騒いでいると、日本語の分かる中国人の女性が教えてくれた。「天候不順のため北京に行く」……とな。いや欠航でもなく遅延でもなく、行先変更ですか? 初日にして早くも予定が狂い始めた!

 北京に到着するが、言葉の分からない私たちは買い物もままならず、ひたすら先程の人を頼る。15時に福岡を発ち北京に着いたのが現地時間17時頃。そしてホテルに連れて行くバスに乗せられたのが午前0時。大連では迎えの人が待っているのに、連絡する術も知らず……。

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 一夜明けて、中国二日目。「労働賓館」の窓から外を覗くと……朝靄!?スモッグ!!?? 連なる団地が朧げにしか見えない。それより今日は飛行機は飛びマスカ?
 不安におののきながら昼まで過ごす。テレビをつけると、金八先生が中国語で話してた。「大家好!」「老師好!!」……くらいは聞き取れた。

 13:30、ようやく空港へ出発。空港では14:30に出発手続の列に並び、15:30やっと飛機に乗れた。大連に着き、その後はトラブル無しTVで「愛していると言ってくれ」をやっていた。翌日のトラブルなど露知らず、私たちは平和に眠りについた。

大連へ、……トイレトラブル、そしてもう一泊

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 ↑ 大連で目撃した路上ごみ箱。日本では街中のごみ箱が撤去されていっていた時代、このごみ箱は新鮮でした。何がって、果物の皮などそのままポイしてあるので、かなり臭い。(のちにそれが普通だと知るのでした)

 中国三日目。この日、トイレに紙を流しちゃイケナイ事に気付く(誰にも言われずに気づいたということは、当然、トイレの状況がおかしくなってしまったワケで……)。大連市内観光。一万円を換金→約750元(1996年夏)

 12:50に空港へ出発。荷物も預けて後は乗るだけ……私たちは14:15の起飛(チーフェイ、離陸)を待った。やがて起飛は一時間遅れて15:15になるが、15:20の時点でまだ飛行機が到着せず、起飛は16:40に。待たせるナァ……うんざりし始めた……そしたら17:00前に放送が。「今日は整備が間に合わなくて飛びません」何てこった!

 泣く泣く、預けたスーツケースから要るものを取り出しバスに乗せられて「濱海飯店」へ。明天我们能坐飞机去长春吗……?

やっと目的地、長春へ

 四日目。今日は日本の海の日。キテレツ大百科をTVでやっている。皆でホテルの裏の海に行くと、茶色の丸石がゴロゴロしていた。日本は福岡の海岸とはかなりの違い。

 10:20に空港に着き、搭乗を待つ。11:30やっと案内があり、イザ搭乗と思ったら階段を降りて滑走路へ。歩いて行くと、バスに翼の生えたようなミニ飛行機が……しかも乗り込んだらハエが沢山! エンジンが掛かると天井からケムリ!(……冷房の冷気でした)プロペラ機だったのだが、最初右側のプロペラが回らず、至急オイルを注ぎ足しているのを目撃した。神様……

 ようやく、すごい音と機械の臭いに包まれて12:00起飛。トイレは何だこれはと思われるほど汚くて恐ろしくなる。しかし肝が座ってきたのか、食事が済んだら何と熟睡したのだった!

 13:40、着陸の衝撃にて目を覚ます。外を見ると、フェンスの向こうで牛に草を食ませているおじさんが。ロ……ローカルだなぁ……。長春空港には卓球台があり、中々アットホームな雰囲気。(その後改装し、とてもきれいな空港になりました。ただ中の薄暗い雰囲気は2017年時点でも変わっていませんでした!)

 14:50頃、吉林大の留学生会館「北苑」に到着。予定の変更につぐ変更であまりに疲れたので、歓迎会以外は自由時間になる。怒濤の生活の幕開けだった。

(中国日記*1996年夏 その2 につづく)

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