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本当のことなんか言う必要ないよな(雑談バナシ⓪)

この前書店に行った際に何の気なしに自己啓発本のコーナーを眺めていた時のこと。「2回目以降の会話ができない人へ」みたいな内容の本を見つけて興味本位でペラペラめくってみた。その時目に入ってきた「コミュニケーションは情報交換ではない」という言葉が頭から離れない。あの言葉の真意はなんだったのだろうか、と気が気でしょうがない。あいにく、自己啓発の類に興味はないし読んだところで僕は役に立てられる自信がないので読まない。だから、改めてあの本をネットや本屋で探すつもりも毛頭ない。
「成功するための方法」と「失敗しないための方法」は同じことを言っているように聞こえるが明確に違う何かがあると思う。僕は後者を赤裸々に教えてくれる、そんなエッセイやコラムが好きだ。

本のタイトルと合わせた時に考えうるあの言葉の真意は、「コミュニケーションの軸を”情報の交換”に置いていると、交換したい情報がなくなった2回目以降の会話がキツくなる」ということになると思う。その”当たり障りのない情報交換”の手札が少ないと、2回目以降の会話がキツくなるというわけだ。

2022年5月9日(月)深夜3時放送の「フワちゃんのオールナイトニッポン0」(ニッポン放送 他)のオープニングにて、パーソナリティのフワちゃん(敬称略)が「コミュ力が高い、ということ」について話していました。開始0秒からその話なので、ぜひ聴いてみてください。(~9:20くらいまで)

主な話の内容は、

・フワちゃんは”コミュ力が高い”わけではない(盛り上がってはいるけど、会話に注目するとギリギリ成立していないことが多い)
・「相手が喋りやすいことを聞く」のがコミュ力が高い人の質問の仕方
・吉岡里帆さんが持つ本当のコミュ力(意外な情報→話の広がりやすいワード→粋なサービス精神→追情報)
・「共通の話題ないかな?」と話のとっかかりを探っているだけだから、嘘でもいいから何かしらの広がりのあることを返すのがサービス精神やコミュ力のある人

といった感じです。

相手とよほどの友人関係であるかもしくは恋仲でもない限り、コミュニケーションをとること自体に意味は全くないのだと思う。その場に「知りたい」という興味はさらさら存在しておらず、とりあえず話が持てばいい。そんな場で本当のことを言ってやる必要なんて、ないと思う。

「昨日、何してましたか?」とか、「趣味はなんですか?」とか。本当のことを答える必要はない。だって、話が広がらないから。

ラジオをずっと聴いてました。
コーヒー飲みながら読書してました。
散歩が好きです。
ラジオ聴くのが趣味です。

全部いらない。でも、嘘を貫き通す自信はない。
YouTubeずっと見てました、TikTokずっと見てました、ネットフリックスのドラマ見てました、とは言えない。
どうせボロが出たり、辻褄が合わなくなってきたり、ついた嘘を覚えてられなかったりするし。

「激イタ珍道中」という相席スタート山添さんとインディアンス田渕さんがやっているネットラジオがあるのですが、先日公開された回で山添さんが言っていたことが胸に刺さりました。

『激イタ珍道中#34〜オードリーさんに会えたで中〜』(25:41~)

ゲストにちゃんと興味を持ってくれていて、「知ろうとしてくれてる」から、気がついたらしゃべってしまっている(意訳)

「もしかして本当に興味があって聞いてきてる?」という瞬間が僕にもあるんですかね。逆に、「知りたい」「興味ある」という感覚が僕にも湧いてくるんですかね。

やはり、「嘘をついて話の取っ掛かりのある返答をする」「話の広がりがある質問をする」というコミュニケーション能力の高さが一番理想です。でもそう上手くはいかないと思うので、もっと泥臭い方法を考えてみました。コミュニケーションを情報交換と捉えた上で、「交換したい情報のカード大量に手札に入れておく」のはどうでしょうか。大学生の場合、「学年、どこ大学か、年齢、何サークルに入っているか、一人暮らしかどうか」にとどまらない質問をそれはもう大量に考えておく。これで4回目の会話くらいまでは凌げるんじゃないですかね。ちょっと、泥臭すぎたかもしれません。

話をフワちゃんの話に戻します。
一言に”話の取っ掛かり”と言っても色々ありますが、共通の話題というのは相当大きい取っ掛かりだと思います。フワちゃんと吉岡里帆さんの場合は「ダイエット」。コミュニケーション能力が高い人はこの共通の話題への探り入れが上手く、そこまでのマジカルバナナ的な会話の数珠繋ぎの腕なのだと思います。

そう考えた時に、マッチングアプリを使う人やTwitterで知り合った人と仲良くしている人について納得いく部分があります。Twitterを見ていても「アクセサリーのひとつとして”コミュ力がない”って言ってる人ばっかりじゃん」としか思っていなかったのですが、マッチングアプリにしてもTwiterでの界隈にしても、共通の話題があることがハナから分かった状態で会っているから、「共通の話題を見つけるまでのコミュ力」がいらないんですよ。
「コミュ力があるわけではなく、それが必要ない段階までショートカットできる」というだけです。

でも、俺はコミュ力が欲しい。
嘘をついてでも話の取っ掛かりを提供し、話が広がるような質問をしたい。

「人に興味が湧いてきて、『オードリーさん、ぜひ会ってほしい人がいるんです』(中京テレビ)に来る一般の人に質問するようになった」みたいなことをオードリーの春日さんが言っていました。
純粋な”興味”由来で色々質問できるような人に、僕もなりたいです。
『あちこちオードリー』(テレビ東京)の若林さんくらい、聞きたいことがたくさん湧いてくるような人になりたいです。

そのためには、他人への興味を持たないとなにも始まらない。
ですが、春日さんのきっかけが「結婚」だったように、そんな容易く人は代われないんだろうなという気もしています。
「他人に興味を持つ」のは一旦諦めて、まずは会話の取っ掛かりや広がりを意識してみようと思います。

あと2年弱通わないといけないので大学の人で試す勇気はないですが、最悪いつでもやめられるバイト先の人で適当に試してみようかなと思います。

本当のことを言ってやる義理なんかなねぇわ、くらいの心持ちで頑張ろうと思います。


#276  本当のことなんか言う必要ないよな


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