雑記④「個性」

1.〇〇らしさ

Twitterを見ていたら、「らしさ」みたいな話で坂道グループのファンの方々の意見が飛び交っていたので、色々考えてみました。

星野源さんが【あちこちオードリー】(テレビ東京)という番組にゲスト出演された時、「自分らしさは俺が握っている」(※正確に覚えてなくてごめんなさい)と仰っていました。
この言葉が心に刺さって抜けません。

「自分らしさ」はあくまで自己評価、というのはすごく納得します。
だからと言って自分のやることがそのまま「らしさ」になるとは言えませんが、まぁ、その基準も本人次第ですね。
「らしさ」に似た言葉で「ぽさ」という言葉もあると思います。
あえて「らしさ」と比較するのであれば、「自分ぽさ」が他者評価なのかなと思います。
こちらの方は「らしさ」よりも少し曖昧で大まかな印象があります。
客観的に見た時の自分の所作の平均の印象、が「ぽさ」なんだろうなという気がします。
で、そういえば「〇〇らしさ」とも「〇〇ぽさ」とも言える言葉があるなと思って、最初に思い浮かんだのが「子供」でした。
「子供らしい」とも「子供っぽい」とも言えるけど、意味合いは違う気がします。
「子供らしい」は子供に対する評価、「子供っぽい」は大人に対する評価。
「子供らしい」の例を挙げると”無邪気”とかが当てはまると思います。
逆に、「子供っぽい」の例を挙げると”わがまま”とかが当てはまると思います。
「子供らしい意見」「子供っぽい意見」と言うともっと分かりやすいかもしれません。
「子供らしい意見」は褒め言葉ですけど、「子供っぽい意見」は若干の嘲笑があると思います。

で、僕は「子供らしさ」には演技・演出が含まれているように思います。
親の前でそれとなく"子供"感を出してしまったり、褒められるために”子供”感のある意見を言ってみたり。
このように、「らしさ」を演じることには、大きさのばらつきはあれどメリットがあるように感じます。

「大人」はどうでしょうか。
「大人らしい」は大人に対する評価。
「大人っぽい」は子供に対する評価。
中学生くらいになった時、それとなく「大人らしい自分(→成長した自分)」を親に対して演出したくなったりしませんか?
逆に、素の自分に向けられる「大人っぽいね」みたいな言葉が嫌な人もいると思います。
周りからのイメージ・印象に合わせようとしてしまう苦しみもわかります。
「周りからのイメージに自分を置きに行く」か「イメージの方をぶち壊す」かの二択があると思うのですが、後者を選択する場合は「子供らしさ」を演出することになると思います。

では「学生」や「社会人」はどうでしょうか。
「学生らしさ」は学生に対して言うから価値があります。
「社会人らしさ」は社会人に対して言うから価値があります。
社会人に向けられる「学生っぽさ」という言葉は「学生気分が抜けてない」という意味合いが含まれた皮肉です。
(学生に「社会人っぽい」という言葉が向けられる状況が思い浮かばなかったので割愛します。)

子供、大人、学生、社会人というような言葉と一緒に使う「らしさ」や「ぽさ」はどちらも他者評価です。
ですが、「らしさ」は「ぽさ」と違って演出することができます。

「大人」や「子供」はもう概念に近いので、限定した一個人を指す「自分」と共に使う場合とは異なるということにさせてください。

「自分らしさ」「あなたらしさ」「君らしさ」のような「一個人+らしさ」という使い方をする"らしさ”は自己評価なので基準は"一個人"に該当する本人が握っています。

「自分っぽさ」「あなたっぽいさ」「君っぽさ」というような「一個人+っぽさ」という使い方をする”ぽさ”は他者評価なので、"一個人"に該当する当人以外が握っています。

欅坂46の「サイレントマジョリティー」の歌詞に「君は君らしく生きていく自由があるんだ」という一節がありますが、この自由を握っているのは"君"本人です。
もし「その人らしく生きること」を強要してきていたとしたら、「お前が”らしさ”握ってきてんじゃねぇよ」って思ってしまうところでした。
そんなこと言われなくてとも、”らしさ”は初めっからこっちが握ってんだよ。

SUPER BEAVERの「らしさ」という曲の歌詞に「だから僕は僕らしく そして君は君らしくって 始めから探すようなものではないと思うんだ 僕は君じゃないし 君も僕じゃないから」という一節がありますが、本当にその通りだなと思います。


2.好きな服を着れば良い

「この服は自分には似合わない」「この服は自分の年齢には適さない」という人に、「好きな服着たら良いじゃん」という助言をする人がいる。
この助言、聞こえはいいですが嘲笑が含まれているように僕は感じてしまいます。
「君には全然似合っていないけどね、ま、好きなら良いんだけどさ。」というニュアンスを感じます。
流行りの服装もいつかはピークを過ぎて廃れていきますが、それが「ダサい」に変わるのが僕は理解できません。
着たい服を着ればいいのであれば、「時代遅れ」「季節外れ」「若者ファッション」「サイズ感が合ってない」みたいな言葉は存在しないはずだと僕は思うんですよ。

「着たくて着てる」という人もいれば「そこまで考えて服なんか選んでない」という人だっているわけで、お前だけの主観的なファッションセンスを普遍的だと思い込んで他人にまで適応させてくる奴の気が知れません。

それでもなお、サイズ感が合ってないだとか、時代遅れだとか言う奴がいる以上、「着たい服を着ればいい」みたいな意見を鵜呑みにするわけにはいきません。

あと、「流行ってる服がダサい」みたいな意見が結構ありますけど、この世の中は流行ってるからオシャレとして認めてもらえるんです。
流行が過ぎたらオシャレとは言ってもらえないんですから。

「俺はこの丈の長さで着たいんだ」
「俺は流行が過ぎたと言われようがこの服を着たいんだ」
それを弾圧する言葉がこの世には多すぎる。

3.長靴

小学生の頃、一度とてつもない雪が降った時がある。
僕の地元群馬は、北部の山間以外は本当に雪が降らない。
大陸から吹いてくる乾燥した冬の季節風が日本海を通過する時に水分を含み、山脈を越える前に雪を降り尽くし、乾燥した風(からっ風)が山を越えて群馬へやってくる。
それが稀に水分を含んだまま山を超えてくると、群馬の山脈地以外でも雪が降る。

雪の前日、天気予報を見た父親が長靴を買ってきてくれた。
幼稚園生の時に使っていた小さい長靴しか家になく、「翌日の登校時に捌けるものがない」ということで父親が気を利かせて買ってきてくれた。
雪の予報が出ている前日ともなれば、ホームセンターの長靴は品薄。
父親が買ってきたのは、靴底が黄土色で他が真っ白の長靴。

当時の僕はこれを履くのがすごく嫌だなと思ってしまいました。
圧倒的”作業用”感が、そこはかとなく恥かしく思ってしまいました。
父親からしてみれば「履ければ一緒」なんでしょうけど、もう少し柄があったり色味があったりする方が”みんなと一緒”で安心感がある気がしました。

それを察したのか、父親が長靴に青のビニールテープを巻き始めました。
穴の周りにぐるっと一周と、かかとに向けて縦に一本。

翌日、僕はこれを履いて学校に行きました。
恥かしさ、みたいなものはありませんでした。

4.紫のリュックサック

小2から、地域にある山にのぼるハイキングの行事がありました。
遠足の時にずっと使っていたオレンジを基調としたリュックサックがあるのですがそれでは荷物が入りきらないということで、サイズ違いで紫を基調とした母親のリュックを使えばいいのでは?という話になりました。
ですが僕はそれが嫌でした。
今思うと「使えりゃそれでいいだろ」とは思うのですが、当時は「女の子っぽい色のリュック使ってる」と言われるのが怖くなってしまいました。
結局、ファスナーを閉めるのも一苦労なくらいパンパンになったオレンジ色のリュックサックを背負ってハイキングに行きました。

ちなみに、その翌年のハイキングの行事の時は、紫のリュックサックを背負いました。

5.レジャーシート

小学生の時の遠足の持ち物に「レジャーシート」と書いてあった。
母親にレジャーシートがあるかを聞くと、「これしかない」と言って大きいブルーシート(※色は灰色)を出してきた。
僕はこれがすごく嫌だった。
クラスの人はおそらく、”2人座れないこともない”くらいの大きさでカラフルなレジャーシートを持ってくるのに、自分だけめちゃくちゃ大きくて灰色単色のレジャーシートを持っていくのが嫌だった。
みんなと違う。
それがただただ嫌だった。

仕事から帰ってきた父親と、ホームセンターやスポーツショップなどを周り、最終的に100均でちょうどいい大きさで程よい柄と色味のあるレジャーシートを買ってもらった。


お笑いコンビ「ピース」の又吉さんが自身のYouTubeチャンネルでこんな話をしていました。(動画の5分46秒から)

私は父親の現場に持っていくブルーシート持っていって人気者になりました。8人くらい、みんなが使えるやつ

あの日僕が灰色のバカデカブルーシートを持っていっていたら、「こいつだけなんかでかいレジャーシート持ってきてるぞww」って後ろ指刺されずに、それも”個性”として受け入れられていたんでしょうか。

僕には分かりません。

#250  雑記④「個性」





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?