雑記③「成人式関連+α」

考え事しすぎて頭がオーバーヒートしそうになった時は、一旦「雑記」として吐き出すようにします。細切れにすればnoteのネタになりまくる気もするし、じっくり考えることもできるんでしょうけど、とりあえずやっつけでも整理しておかないと部屋で大きい声をあげそうになるので。

1.幼馴染

 成人式前日、ラジオ聴きながら散歩でもしようと家を出ると、丁度向かい側の家に住んでいる幼馴染がスーツを着て立っていました。
どうやら母親に写真撮影をされていたらしいです。
 同じ団地に幼馴染が二人いるのですが、鉢合わせそうになった時はいつも逃げていました。
 もちろん、この日も僕は逃げました。

 成人式当日、会場に行こうと実家の玄関を出ると、その幼馴染がスーツを着て家の前で立っていました。
流石に逃げられる状況ではなかったので、僕から話しかけました。
「身長高くなったね」なんて言われて、中3までの記憶しかないからそうなるかと自分の中で納得しました。
2分くらいの会話でした。
成人式会場へ向かうため、父親の車に乗り込みました。

 成人式が終わり、気心の知れた友達3人と飯会をしに行きました。

 飯会が終わって実家に帰り、ちょっとした会話をしていたら、母親に「〇〇君のお母さんからLINEが入ってて、〇〇君が一緒に写真撮りたかったって言ってたらしいよ。玄関で会った時撮ればよかったね」と言われました。
確かに撮ればよかったなと僕は思ったのですが、その考えがなぜあの時の自分に思い浮かばなかったんでしょうか。
もうこれを考え始めたらもう自分が情けなく思えてきて嫌いになります。

 僕みたいな人間からすると、「せっかくだから」という理由は最強のカードです。
僕でも使えるじゃないですか。
なんで僕はあの時使わなかったんでしょうか。
「写真撮りたかった」まで思ってもらったのに、僕が生きるのが下手なばっかりに写真を撮れなかったのがすごく申し訳ないです。
中学の同窓会に僕が行っていればそこで写真を撮れたかもしれないのに、それすら行かなかったというのがさらに申し訳ないです。

 結果論でしか語れないですが、僕の成人式でのムーブは正解だったんでしょうか。

2.同窓会

 同窓会のLINEが発足した時、正直めちゃくちゃ斜に構えてしまいました。
行っても意味ないだろ、って。
そっちの方が、なんかかっこいい気がして。
そっちの方が、孤高な気がして。
そっちの方が、大人な気がして。

 成人式が終わった後、気心の知れた友達と飯会をしてみて、すごく楽しかったのですが、それが終わったあたりからずっと「その選択が正解だったのかどうか」をずっと考えています。

 幹事の人が「参加人数少ないのでもう一回アンケート取ります」とグループLINEで言ったあたりから、自分の中で申し訳なさがすごく大きくなってきました。
場所を押さえて企画までしてくれて、全体の25%にも見たない参加率なのがすごく申し訳なかったです。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」じゃないですけど、その圧倒的不参加率に気が大きくなっていた部分がありました。

 飯会の最後の方、「同窓会行かなくて後悔してる?」というような話になり、友達は「後悔していない」と言っていました。
僕らが「中学の同窓会に行った時、どれくらい楽しかったのか」は存在しない世界線の話なので分かりません。
 ひょっとしたら4人の飯会よりも楽しかったかも知れないです。
もちろん、後悔する可能性も十分にあります。
ひょとしたら女子と良い感じになるかも知れません、知らんけど。
最後のやつは冗談としても、今すごくこれを考えてしまっています。

 「成人式に行くべきか?」「同窓会に行くべきか?」という話題になった時、行かない派の意見に「仲良い人とは自分で連絡取る」というようなのがあります。
普通の人なら、帰省した時に気軽に「飲みに行こうや」って誘いの連絡をできるのかも知れないです。
でも僕には多分それができないです。
飲みに誘う理由が僕の中で確立できないというのと、自分はその会を楽しいものにするという責任を背負えるほどの人間ではないというのと、自分は信頼を置いているけど相手からは信頼されていないという状況への恐怖があるというのが理由です。
だから、相手から誘われると僕には確定演出が出ているように見えるのです。
ただ、気を使って声をかけられているという状況も全然あるので、そこは慎重に見極めないといけませんが。

 去年書いた「恋愛についての個人的な考察」にも書きましたが、僕は確定演出がないと自分からは動けないんです....。
このnoteでは言い訳を押し並べまくりましたが、僕には意気地がないだけです。

 もし今回友達から飯会に誘われていなかったら、成人式のあとは家に直帰してベッドで寝ていた気もするし、もしかしたら同窓会に行っていたかも知れません。
こと同窓会のお誘いに関しては、気を使われたというよりは「分け隔てなく」というニュアンスが少し強いように思います。
「会いたい」とまでは確実に思われていないですが、「せっかく」だから誘われているんだと思います。
「せっかく」って確定演出になりますかね?
もし入るなら、俺は確定演出を踏み躙ったことになりますね。

 糞ゴミクズダブスタ野郎です、俺は。

3.子は子

 お盆と年末年始で父方の祖父母の家に行った際、父親が旧友との飲み会に出かけることがよくあります。
飲み会から帰ってきた父親に対して、祖母が「今日誰と飲んできた?」と質問している場面によく会います。
そして、父親が答えても祖母はピンときていません。

 小学生くらいまでであれば、”親”は”子供”の交友関係をある程度把握しているんだと思います。
家に遊びにきたり、普段の会話から得られる断片的な情報である程度認識しているんだと思います。
ですが、中学を超えると家庭での会話が減ったり、高校・大学の友人は地元とは全く無関係な友人関係が展開されます。
だから、”親”に誰と飲んだか聞かれても、「言っても、そもそもわからないでしょ」ってなるわけです。
実際、父親が「じゃぁ聞くな!」と祖母に言っているのを何度も聞きました。

 そんな父親に「今日誰と飲んだ?」と聞かれました。
誰々と誰々と飯食ってきたと言っても、父親は全然わかっていない様子でした。

 あと、飲み会から帰ってきた父親に祖母が「お腹空いてない?」と決まって聞いていたのも覚えています。
そして父親は決まって「空いてないわ!たらふく食ってきたっちゅーねん。」と返していました。

 友達との飯会から帰ってきた僕に対し、母親が「おかえり〜。お腹空いてない?」と聞いてきました。

空いてないわ!たらふく食ってきたっちゅーねん。


 大学がまた始まるので、父親が一人暮らしの家まで車で送ってくれました。
その帰りの車の中で父親が「子は子なんだなって思ったな〜」という話をしていました。
「親に誰と飲み会をしたか聞かれるめんどくさかったけど、聞いちゃったもんなぁ。おばぁの気持ちがちょっとわかった。」と父親は言っていました。
 年末年始、親の帰省について行きました。
僕だけ一人暮らしなので、行きがけに東京で拾われて帰りがけに東京で捨てられます。
僕を東京に捨てた後、家族は実家に帰るわけです。
その実家に向けて出発する時、「体調気をつけてね」「風邪ひかないようにあったかくね」「ちゃんとご飯食べてね」「お酒飲みすぎないでね」と色々気にかけてもらいました。
 実家に到着した父親が、祖母に「無事事故なく到着しました」という電話をした時、「お腹痛くなってないか?」「ちょっとは痩せなさいよ」「くれぐれもコロナ気をつけてね」「事故だけは注意してね」「ちゃんと健康に気をつけなさい」と言われたらしいんです。
 何歳になろうが、”子供”が成人していようが、永遠に子は子でやぱり気にかけると。
地震が起きれば真っ先に”子供”は大丈夫かを心配するし、同じように”親”からは心配をされる。

 そんな会話をした後、なんとなく思ったことがあります。
「今日誰と飲んだ?誰と飯食った?」という質問は、名前が知りたいんじゃなくて話を聞かせてくれって意味なんだろうなと思いました。

 今日は誰と飲んだ?知らないなぁ。同じ小学校の人?いつの友達?どれくらいぶりに会った?どんな人?思い出話とかある?

それを喋ろうや。ってことなんでしょうね。
話を聞かせてくれや。ってことなんでしょうね。

 「言ってもどうせわからないだろ?」て、僕は今後思わないと思います。
親が知らないことならその都度しゃべって、情報を更新すればいいんですよ。

 親になって初めてわかる気持ちを、親になる前に知れてよかったです。

4.呼び名

 小5の時、とある友人にあだ名をつけてもらいました。
苗字もじりのあだ名で、それが初めてつけられたあだ名だったのですごく嬉しかったです。
ですが、高校に自分と同じ苗字の人が2人いたのでそのタイミングで自然とあだ名が変わりました。
それからずっとそのあだ名で呼ばれていたので、成人式の後の小・中の友達との飯会で苗字もじりのあだ名で久しぶりに呼ばれてすごく懐かしく感じました。

5.防衛機制

 正直名前も顔も完全に忘れ去っていた人を今一度目にして、自分が本能的に記憶から消し去っていた嫌な記憶をドバドバと思い出してしまいました。
今と何ら変わらないような”人間性”の部分でずっとしくじっていて、当時の苦しみみたいなものがふつふつと湧き上がってきてしまいました。
下手にパンドラの箱を開けてしまったが故に、嫌な思い出が脳内をずーーーーっと渦巻いていて息苦しいです。
できることなら忘れたままでいたかったです。

6.恋愛に関する弾がない

 成人式の後に気心知れた友人数名と飯を食ったのですが、なんか、みんな普通に恋愛してました。
一人が「年末、2ヶ月半付き合っていた彼女と別れた」という話をし始め、そこから大小あれど恋愛話が連鎖して僕にも番が回ってきてしまいました。
 「自分の恋愛話を展開するのが恥ずかしい」とかでは全くなく、本当に話がないんです。
 そこで何となく思ってしまいました。
「大学生の飲み会って、恋愛に関する何かしらの話の弾を込めていないと参加したらダメなんだろうな」って。
みんなそれを肴に酒飲みたいんだろうなって。

 「同じゼミの人」「同じ授業を履修している人」「同じサークルの人」「バイト先の人」。
よほど顔面が強くない限り、そういう”所属先”がないとまず始まらないわけじゃないですか、恋愛って。

 「友人から昇格」タイプと、「たいした関係性もない人から突然変異」タイプのどっちがオーソドックスなのか知りませんけど、2ヶ月半とかで別れるような人がいる以上、大学生如きでは後者が多いんだと思います。知らんけど。
 「大人の恋愛は告白がない場合が多い」みたいな記事をたまに見かけますが、大学生でも2ヶ月半とかで別れる部類の人がいるのであれば、まだまだ告白をして付き合う頃合いなんだと思います。知らんけど。

 ”所属先”で恋愛をした時って、別れた時がめんどくさそうですよね。知らんけど。
 僕は、男の友達でもクラスが変わっただけで話しかけにくさを感じるような人間なのでそれに似た状況かつ相手が女性で恋愛が絡んできたらとても耐えられる気がしません。
事後がめんどくさいのが目に見えているので、「その一瞬のさまざまな欲求を満たすこと」と「その後にかかる手間やめんどくささ」が釣り合っているようには思えないので僕は気が引けてしまいます。
本当に良くない考え方だとは思うのですが、現状維持でも僕は全てにおいて満足できる自信があります。
誰かと別れてから色々苦しむ人が多いですが、もっと前から苦しむことはないんか?と僕は少し思ってしまいます。

 何もないのに、僕は色々苦しいです。

7.さあ、この後どうする

 「えぇ〜….っと…この後….どう….しま….す….?」みたいな状況が僕はすごく苦手です。
告白されてそれをフッた後、と考えて貰えば理解してもらいやすいんじゃないかなと思います。知らんけど。

 僕はこれを友達と飲食店から出た時に感じます。
まずこのまま解散するのかどうかを探らないといけない。
もし解散する場合、誰がどっちの方向に歩いて行くのかを探らなくちゃいけない。
自分と同じ方向に行く人がいた場合、相手がといつ道が別れるのかを探らなくちゃいけない。
自分が先にどこかで外れないといけない場合、どのタイミングでそれを言い出すかを探らなくてはいけない。
 その探りを入れる時間が、自分の精神をすごい勢いで削ってきて、僕はすごく苦しくなるのです。


#成人の日をむかえて #エッセイ #219




7の続き(番外編)

 先日の佐久間宣行ANN0のイベントで、「会いましょう」と声をかけていただきました。
それはすごく嬉しかったのですが、僕はとんでもない場違い感を感じていました。
僕の社交性とコミュニケーション能力が足りていなかったのが全ての原因なのですが、「俺はどうしているのが正解なんだ….?」と思ってしまいました。
その時昼飯を食べていなくて、飯屋を探してうろちょろしている時に声をかけていただいて、待たせるのが申し訳なくて直行したので超絶空腹でした。
コンビニ行くタイミングを伺っていたのですが、グループを抜けるタイミングが全く掴めませんでした。
「〇〇さんがいるらしい」と何となくのグループがいろいろ移動していて、それに着いていかずにぽつりと一人ぼっちでスマホをいじって突っ立ってみたりしたのですがそれもうまくできませんでした。
次第に人も増えて大所帯になっていき、「えぇ〜….っと…この後….どう….しま….す….?」みたいな状況に陥りました。

最初の方にいたグループの人は次第に散っていき、正直僕は完全に孤立していました。
あの時、完全に孤立していて何とな〜くいた僕としゃべってくれた方、本当にありがとうございました。
すごく嬉しかったです。
あの、本当に感謝しかないです。


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