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種を付け始めたキバナコスモス。 花は枯れ、種をつけ、命を紡ぐ。 切なさと嬉しさと。 というひとつの想いの中に混在する相反する想い。 心の中に存在するどちらも大切な感情。 そしてどちらも同じくらい愛おしい否定してはいけない感情。
花を撮るのが好き。 というより、枯れている花を撮るのが好き。 咲いているときより美しいと思う。 いや、咲いているときも美しいのだけれど、それはどこか他人事で。 見ているだけでいい。 私にとって写真を撮るということは心を撮るということ。 老いていく自分を枯れていく花に重ね合わせ、自分にエールを送る。 過去には戻れない。 過去を受け入れ、今も受け入れ、そして先を見つめて。 見たくないものに蓋はしない。 最後まで自分らしくナチュラルに生きられたらいいなと思う。 切り花の
雨上がりの朝、いつもの向こう側。 閉じ込められた世界の中で、光が君を救う。 大丈夫、僕は君をちゃんと見ているよ。
記憶というものはとても曖昧で。 今のその感情もいつか消えてなくなってしまうかもしれない。 だから、シャッターを切る。 私の記憶が消えぬ間に、私は私の心を写しとめる。 そうして一時の記憶も永遠の記憶になる。 私の記憶の欠片たち
昨日のカフェで耳に入ってきた隣のご高齢のご婦人方の会話、 「もう歳だしね~。先が見えないこと、心配ばかりして閉じこもっていたら何もできないまま死んじゃうかもしれないしね」 「そうそう。どうせいつかは死ぬんだから、だったら今楽しまなくちゃ。それでコロナにもし罹っちゃってもいいかなって思うようになったわ。」 あ~、まさにその通りだなぁと思いながら聞いていた。 それでも心の中にある不安。 楽しまないとと思いながらぬぐいきれない不透明な心の中。 カメラを持って外に出たとこ