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Brand new day

夢の国、ディズニーランド(ディズニーシー、またはオリエンタルランド)
でも
ものみの塔の二世だった私
「夢の国」だから行くのはよろしくない・・・

ハルマゲドンと楽園が来ると伝道する宗教だから、似たようなものはダメなんだとかなんとか。

それに
「高い」
「遠い」日帰りで行けるのに?

パスポートがなくても入れた時期があったのを知っている。
家庭でも、ものみの塔で企画される子供たちのためのイベントにも、ディズニーランド行きだけはなかったよ。

小学校の時、クラスメイトが学校に持ってきていた、お菓子の入っていた缶がうらやましくて遠くから眺めていた。
テレビから流れる「東京エレクトリカルパレード」を楽しそうだなと寂しい気持ちで聞くしかできなかった。それを眺めていると母がにらんでくるような気がして、そんな気持ちもあまり表情にも出せなかった。

そんな私がやっと行けたのは高校生の時。

自分がバイトして作ったお金で、幼稚園時代からの友人けーちゃんと一緒に行った。
けーちゃんは、私の母をものみの塔に引き入れたお母さんを持つ同級生だった。彼女は自力でものみの塔から距離を置き、私の洗脳を1/3くらい解いてくれた。
けーちゃんと一緒だったから、私は高校生だけで初めて東京をまたぐのも平気だった。

私にとっての「Dreams  came true」その1の出来事だった。

それから大人になった私は「ノートに願い事を書くと叶う」という本を幾つか読んで、ノートに自分の願望を書いていた。
ノートに書いたことはけっこう叶った。
ものみの塔にいたころは、「あれダメ、これダメ」ばっかりだったのに、自分の望んだことが叶う現実。手ごたえを感じた。
でもうまくいかないときもあった。
しばらく書くのをやめた時期もあったけれど、やっぱり時々書いていた。

本格的にまた願望を書いたのは20代の終わりごろ。
周りの友人が次々と入籍していくのをみて、一人残されていくのが心細かった。
20代初めのころの私には、結婚願望がなかった。

それは、
父は母は喧嘩ばかりだったから。
父は昭和のオヤジでモラハラ気質で酒飲みだったから。
「お前らがエホバやってるから俺は酒を飲むんだ」
多分アルコール依存症だった。
(つい最近まで、私はその父の発言に責任を感じつづけていたけれど、知り合いの方の発言や、アルコール依存症の本、アルコール依存症のオンライン家族会に参加するうち、そうではなさそうだと気付いた。)
父は私が高校2年の時に病死してしまった。
結婚願望がない私に母は何度も「私たちの仲が悪かったせいね」なんて言ってきたけど、何も言い返さなかった。言い返せなかった!

話は戻り、子供のころの傷が薄れたのか、婚活してみようと思った。
そしてまたノートに願いを書いた。
その中に、
好きな人と一緒に、年1回くらいディズニーランド(またはディズニーシー・・・オリエンタルランド)に行くと書いた。

幸せの象徴の一つとして書いただけだった。
でも、現在結婚して11年目の主人に、入籍した後に「僕、オリエンタルランドの株持ってるんだ」と言われた。
※100株持っていると、オリエンタルランドのパスポートが1枚もらえる。それから株は分割されて、パスポートも2枚になった。

私は主人と初めてオリエンタルランドに行ったときに涙した。
ああ
「imagination」
「Dreams came true」だなって。

自分が欲しいものは欲しいと想像する。こういうものが欲しいと願うことの大事さ。することやること、そこらへんに転がっているものを禁止する宗教ってなんなんでしょうか?
私が20歳になるころには、ハルマゲドン来るはずだったけど、来なかった。dreams came true の方向性も、間違えると、ちっとも叶わないものなんですよ。 

それは宗教なんですか?
夢や希望を与えるのが宗教じゃないんですか?

夫婦になることができた人と一緒にパレードを眺める喜び。
パレードの人たちが、聴衆に一瞬一瞬目を合わせ、笑いかけて手を振る。
楽し気に踊る。imagination, Dreams came trueと音楽が流れる。
夜も、imagination,Dreams came true と流れた後に花火が舞い散る。
その光景を見るたびに私は涙した。

本当は家族で楽しく行きたかったオリエンタルランド。

たばこ代、飲んでた酒代を貯めれば、オリエンタルランドに行けたはず。
母が配っていた雑誌や、購入していたものみの塔の書籍。
そのお金があればオリエンタルランドに行けたよね?

両親は自分のことばかり一生懸命だった。

喜びと悲しみが混ざって、わけのわからない涙が止まらない。

結婚して、子供を持って、主人も私の父親のようにはならず、それこそスパイファミリー(遠藤達也 原作)のロイド・フォージャーみたいに家事をしてくれる。

そんなDreams came true なのに、育った環境が私の心を苦しめて、よく眠れないし朝も早く起きれない。

育児をしていると、自分の育った環境がおかしかったことを思い出される。
子どもの今の環境と自分の育った環境のギャップに怒りを感じるのに、それをぶつける先がない。
「信教の自由」でまるっといろんなものが保護されて、二世の苦しみは昔からないがしろだった。臨床心理士歴30年の人も、宗教から出た人を宗教は保護しない、みたいなことを言っていた。

実は毎日のように「生きていてもしょうがない」という言葉を心の中でつぶやいたり、うっかりすると口に出してしまう。

2022年11月現在、毎日のようよ報道される宗教2世の問題も、見るたびに心がひりつく。
「自分の問題は大したことない」
だって「自分でどうにかするしかない」から

よほどの相手でないと相談しても払いのけられるようなこの問題を、そうごまかしてきたけど、報道を見るたびに、自分の抱えてた問題が大きかったのだと思わされる。

でも思ってたよ、詩人のイーダビーさんみたいに
「返して、返して、私の人生を返して」

私も19歳くらいのころ、ノートに書き殴っていた。
そんな私も、生き長らえて40代だ。

だから、せめて、心の中でダンスしよう。
文章で躍ろう。

ディズニーの曲でも聞きながら、こうして書き綴って頭の中を整理する。
「今こうして、私が生き長らえていることに意味がある」
「こうして思いの丈を発信することに意味がある」

「ペンは剣より強し」

そして、世の中には宗教二世にも、夢や希望を与えて欲しい。

もしかしたら、親の世代が精神を病んで宗教に入れ込むような時代だったから、みんな夢も希望もなくて少子化が進んでいるのかもしれないと、ふと思った。でも、それで日本はどうなるんだろう。

ならせめて 幸せな imagination しよう

だって

「Dreams came true!」でしょ。





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