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元エホバの証人二世の私の、両親の生い立ち

私の母は、物心つく前に両親がなくなってしまったため、おばあちゃんに育てられたそうです。母は2017年に肺がんで亡くなっています。
 生活はとても貧しかったようです。異母兄姉と一緒に育ちました。
これを、臨床心理士さんに話したところ「プチうつ病だな」などと言われました。
両親の愛を知らずに育ったので、欠乏感があったのかなと思います。

そんな母は、10歳年上の私の父親32歳と、22歳で結婚しました。
母は私に「お父さんからお前はボラ(海の河口に近い川にいっぱい泳いでいる魚)だった」なんて言われた、と私に聞かせました。そう話されて、いじられている感じがうれしい表情をしていました。
 昔の私は、その意味は分かりませんでした。大人になった今は、自分が食用だったらイワシみたいな表現してくる人に対して嫌悪感しかありません。
 母はもしかしたら自尊心が低かったのかもしれない、と今は思います。

父は、いわゆる「ヤングケアラー」でした。父親が寝たきりになったあと、下の世話までしたという話を、母から聞きました。介護の後、中卒で家を出て、当時の高度成長期時代「金の卵」と言われる労働者となりました。
 父の家はいわゆるセカンドファミリーでした。小さな平屋に住み、高齢の父の、若い後妻から生まれた次男です。ずいぶん気の強いお母さんだったようで、折り合いが悪かったのも家を出た理由のようです。最期まで平屋に住んでいた叔父が亡くなった後、隣に住んでいるおばあさんから、私の父の家について聞き出すことができました。お隣さんは、気の強い後妻さんからずいぶんと迷惑をかけられていたようで、私にだいたいのことを話し終えるとずいぶんとすっきりとした表情をされていました。

 そんな家庭で育った父は、22歳くらいで酒に目覚めたようです。お気に入りは日本酒でした。
 そんな父の自慢は、イモトアヤコも登った、スイスにある「マッターホルン」に頂上近くまで登ったことです。
 母がエホバの証人の集会に通い始める1986年くらいまで、酒を呑んで、いい気分になっては「俺はマッターホルンに登ったんだぜ!」と母にいい、母は「また言ってる」と面倒そうな顔をしていたのを覚えています。寝室には、マッターホルンの大きな写真が飾ってあって、父の自慢でした。そうして、母にたまに足の爪を切らせるような人でした。
 この「足の爪を切らせる」という行為は臨床心理士さんの言葉を借りると「君のお父さんは、お母さんを奥さんに求めたんだ。だって足の爪くらい、自分で切れるだろう?」と私にコメントしました。
 元エホバの証人二世のエッセイ漫画「カルト宗教信じてました」のたもさんの本にも、お父さんが奥さんに靴下をはかせるシーンがありました。子ども4人いるのに・・・ 


 父も、家事らしい家事をせず母に「おまえは俺みたいに稼げるのか?稼げないだろう」と言って、支配をする人でした。今でいうモラハラです。

 母から聞かされたエピソードはもう一つあります。結婚した数日後、着物の帯か浴衣の帯を結んで欲しいといわれ、母が「こんなんできるわ」なんて言ったのに結べなかった時、父は怒って家を出て、一昼夜帰ってこなかったという・・・。
 母の「できるわ」軽口に振り回されることの多かった私は父の怒りは内心理解できたけれど、新婚なのに家から帰らないってなんだろう・・・と思いました。
 
 母は私が小学1年生くらいになる1987年頃に、私と同じ幼稚園のお母さんから勧誘を受け、ものみの塔(エホバの証人)の「研究生」となります。
 
 首都圏に住んでいましたが、母の故郷は福岡の方で、親しい友人もいないのに自ら転勤して首都圏で父と出会いました。いつも「帰る場所がない」などと独り言を私に言って聞かせました。(私は母の話し相手となっていたと臨床心理士さんに言われました。それが今のアラフォーの私の肩に、その思い出がずっしりと乗っかっていて苦しいです)孤独だった自分の思いを娘にしか言えない母もかわいそうですが、そんな孤独な母の独り言を聞かされる私もとても辛く、普通に生活してて、ふと頭に浮かぶのがとても苦しいので、こうして書いています。
 そうして母は「昭和枯れすすき」という歌を歌うのです・・・。歌っていたのは平成の始まりの頃ですが・・・今はそんな人のそばにはいるのはつらいなと思います。
 
 臨床心理士の言葉を借りると「君のお母さんは、もう限界だったんじゃないか?」などと言われました。

 確かに、子供二人(私と弟)かかえ、旦那(私の父親)には家事や子育てを見てもらえず、帰宅後は酒やたばこをたしなみながらテレビを見るばかり・・・


 
 子供の私に「お父さんが休日にどこも連れて行ってくれないからつまんない」などとこぼす始末でした。

父親の酒とたばこは、臨床心理士さんに言わせる「どっちも『口』だから、口唇期(こうしんき)に問題があった」
 もっと簡単にいうと、赤ちゃん返り・・・赤ちゃんがおっぱいを飲むときに口を使う・・・フロイトの理論かと思われるが、その時代に「愛着(甘え)」泣いたら抱っこしてもらって、あやされたり、オムツを替えてもらったりの時代に退行している現象だと言うのです。

 そういえば母も、いい年して「爪かみ」がやめられない人でした。

両親ともに「愛着障害」(岡田尊司)があったのではないかと分析でした。

母は、そんな父に愛想をつかしたのか、限界だったのかはもうわかりませんが、精神科医の言葉を借りると、そうして、ものみの塔という「強烈なものに依存」したのではないかとのコメントでした。





 



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