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良かれと思っての落とし穴

男性に理解してほしいと思うことや、男性社会にこうあってほしいと思いが、女性なら多かれ少なかれあると思う。それはひとえに、暮らしやすい世の中になってほしいという願いからきているわけで、7歳男児を持つ母としてその責任の一翼を担っているという認識は当然ある。そこで、ゆるやかに意識を広げるための生活の中での提案、気付きや発見、感じたことを綴ることにする。メモから派生する何かがあれば良い。グッドガイが増えてくれたらいい。そしてもちろん素敵な女性たちが増えたらいいし、自分もそうありたい。それから、男女間での疑問や夫婦間の問題解決策なども触れてみたい。なんてったって結婚10年、離婚寸前まで何度もいった我らの事件は上げたらキリがないけれど、なんとか航海は運行中だ。

さて、今日の気づきのテーマは「出産について話すこと」。

男子の性教育がポルノであってはいけない。

そう強く思っていてそのために社会的に何ができるか考えてはまとまらず悶々としているのだけれど、まず個人は自分の家庭で実践の場として活動していくのが筋なわけで、私もできるだけ折りに触れては行動するようにしている。
小さい頃から息子に積極的に行ってきたこととして

・赤ちゃんがどこから来るのかきちんと伝える
(おかあさんのおまた)
・プライベートゾーンの話をする(水着の部分は人前で出したり、人のを勝手に触ってはだめなんだよ)
・ちんちんの扱いに注意する(おしっこだけではなく赤ちゃんのたねをつくる大切なところなんだよ。腫れるとつらいよ)
・うっかり経血を目の当たりにしてしまっても子供が納得する言葉で説明する(おなかの中の赤ちゃんのお布団をお掃除してくれてるんだよ)

というハードコアなものから、

・生まれてきたときのエピソードをたくさん話す
・愛していると伝える

みたいなことも本人が簡単にわかるようにちゃんと言葉にするようにしてきた。

可愛かった赤ちゃんの頃の話が子供は大好きだ。特に出産の苦労話や、その後の苦労話、嬉しかったことや幸せだったこと。自分の誕生や愛のエピソードを伝えることで、命の大切を感じたり、小さな身体の中にぐんぐん自尊心が芽生えてくるのがわかる。愛されている実感や自分の存在に誇りを持つことは健康な心身の土台になるのだ。

先日のこと、タツノオトシゴのオスがお腹から子供を出産しているシーンをテレビで見ながら息子が「出すときどんな感じなんだろう?痛いのかな」というので、「スッキリするんじゃない?うんちがでるとスッキリするみたいな感じだよ、ママもそうだった」と伝えた。するとすぐさま、夫にたしなめられた。「マジでそういう事言わないほうがいいよ」と半ば軽蔑の眼差しで私をとらえていた。

うんちという表現がよくなかったのかしら? 

確かに、排泄物と新しい命を比べるような発現は良くなかったかもしれない。美しい出産のシーンに便を引き合いに出すなんて自分は馬鹿なんだろうと落ち込んだ。しかし、小さな子供や出産を体験できない男性勢にも「あぁそういう側面もあるのか」ということを理解してほしいという気持ちが心中にあることに気づいた。

出産の体感を共有したかったのだ、私は。

せっかくの体感チャンスを棒に振ってしまったのは残念であるが「はやくでてきてくれぃ」とひぃひぃとリキんだのちザバーンと排出したあの瞬間は、はっきり言って(便秘時の排泄の100倍)気持ち良かった。

2020年の今、美談だけをすくい上げておきたい男性諸君ばかりではないのはわかっている。しかし実際まだそこに開きがあることも知っている。そこであえて言いたい。産後の母親にとって、出産シーンとは「美しいもの」なだけではなく血と汗と羊水と胎盤にまみれた生々しい体験に変わる。それは美しいのはもちろん、辛く苦しく憎らしく愛おしく素晴らしい瞬間であって、感情すべてがごちゃまぜになるその瞬間こそが人生そのものであり、それを共有することができる親子という関係が生まれたその瞬間はとてつもない。そのとてつもないことを同じ気持ちでいられるかどうかは、また人それぞれでもある。ただ、この『とてつもない瞬間』を多少違っていても同じくらいの大切なこととして胸に抱え美しいビジョンを持ちながら子育てをしていくことで、子供が素敵に育っていくと思うんだ。

だから、なんだろう。気づいたのは、そこに表現方法ひとつで「あり」も「なし」になってしまうことがある、ということだ。わかってほしいならなおさら、表現方法を慎重に選ぶべきということだ。

たくさんの美談で親の愛と家族のつながりをさまざまな形で刷り込みたい、という気持ちの焦りが、妙な言葉の選択をさせてしまったのかもしれない。そもそも出産を経験したということでマウントをとった気分も、もしかしたらあるのかもしれない。それは、男はタフでなきゃいけない!という古い考えを押し付けることにも似ているかもしれない。それは、女性を敬え!女性の権利だ!と騒ぎ立てて敵対してしまうことに少し似ているかもしれない。本当は、そんなことをしたいわけじゃないのに。

女性にとっても男性にとっても生きやすい社会になってほしい。互いを尊重しあい高め合う美しい社会には、まずは男性諸君に女性の秘め事とされていた部分をご認識いただくことから、社会の常識が再構築されていくと思う。性教育の遅れている日本を目覚めさせ、話すことが恥ずかしいのではなく、知らないことが恥ずかしいのだ、という認識をもたせ、大切な身体の守りかた、ケアの仕方、愛し方をきちんと伝えていくこと。愛することは喜びであり、愛し合うことに自信を持っていいということ。それにはまず、親の意識改革から始めなくてはいけない。

『世の中にグッドガイを増やしたい』という使命を持つモノなのであれば、ことさら言葉選びに注意しないといけないではないか。愛は正しく伝える必要がある。負けた身ではあるが学びは大きかった…とそっと兜の緒を締めた。

Good movie for good guys 〜勝手に映画紹介〜

思春期を迎える男子に前衛的な価値観を与える周りの女性達。翻弄される不安定さ、聡明な親の選択肢とのズレ、弱さに向き合う怖さ、人をジャッジすること、愛情。他人事とは思えないことばかり。こんな素敵な女性に囲まれて暮らせたらいいのに。
20TH CENTURY WOMEN(2016) マイク・ミルズ監督

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