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【ココロ】やる気スイッチ - 好きはすごいパワー②

前回に引き続き、「好き」のパワーについて私の体験談です。

渡米して4年生大学に編入して、すぐに学生トレーナーになれたわけではありません。簡単にATCになれたわけでもありません。思い返すと「私、結構がんばったよ!」と思うことばかりですが、当時は全く頑張っているとは思っていませんでした。当たり前のことをやっている。それだけでした。

ATC (Athletic Trainer, Certified)はアメリカの国家資格です。
大学卒業が必須。卒業見込みで試験を受けることができますが、試験に合格をしても卒業しないと資格をもらえることができません。
試験というと年一回のチャンスしかない日本と違い、アメリカでは2ヶ月おきに受験することができました。国内のあちらこちらが会場になるため、1番近い会場に申し込みをします。試験は、当時(いまも?)3項目あり、1年の間に全て合格すれば良い仕組みでした。一発合格する確率は低く、大抵2度目で合格すると言われていました。留学生は3回目の人も多いとか。ちなみに私は4回目で合格。(1回目全滅。2回目シミュレーションパートのみ合格。3回目筆記合格。4回目実技合格。と見事に一つずつこなしました。)長い間「私は3度目で合格しました」と嘘をついていました。すみませんでした。

当時、トレーナーの研修を受けるには2つの制度がありました。一つはカリキュラム制度。大学にアスレティック・トレーニング専攻があり、理論などを頭に叩き込んでいくスタイル。もう一つはインターンシップ制度。大学に専攻はなく、別な科目を専攻してトレーナーの必須クラスを受講し、実際に現場で体を動かして学んでいくスタイル。当時のオクラホマ大学はインターンシップ制度でした。ちなみにこのインターンシップ制度はだいぶ前に廃止されました。

ヘッド・トレーナーに嫌われている

オクラホマ大学(The University of Okalahoma)はスポーツがとても盛んな大学です。NCAAで優勝するスポーツも複数ありました。そんな念願のオクラホマ大学に編入!

生活や授業に慣れるために、夏の学期(summer semester)から開始できるように引越しを完了しました。編入する前からトレーニング・ルームにはちょろちょろ顔を出してアピールしていたので、学生トレーナーになれるものだと思い込んでいました。

ところが!

「編入してきたよ〜学生トレーナーとして働かせて〜」(心の中で言っていた)
と意気揚々とトレーニング・ルームに行くと、
「まずは応募してね。それからこれだけ(山積みの応募用紙)志願者いるから無理だと思ってね」
と、ヘッド・トレーナーに冷たく帰されてしまいました。

彼は、どうやら、少々、人種差別主義者のキライがありました。
「あなたをここで働かせるつもりなんかないよ。諦めな」という無言の圧を感じたのを今でも覚えています。

しかし!ここで諦めるわけにはいかないのだ。トレーナーになるために両親に土下座して頼み込んだのに、トレーナーになると友達に豪語してしまったのに、このまま引き下がれない!

というわけで、翌日も、またその翌日も、こりもせずに勝手に出入りしていました。アシスタント・トレーナーたちはとても親切にしてくれたのですが、それでも「他の小さな大学へ行った方がチャンスがあるよ」と私に何度も言ってきました。

ある日、学生トレーナーたちがテーピングの練習をしていたので「私もできるよ。足首のテーピング」と仲間に入れてもらいました。何せ、会話(英語)がままならないので、体で示すしかありません。

すると、その様子を見ていたヘッド・トレーナーが「明日から来なさい。学生トレーナーとして活動を許す」と!私のしつこさに根負けしたようでした。「まさか、あのヘッド・トレーナーが根負けするなんて」と、アシスタント・トレーナーたちが驚いていました。

子供みたいな見た目で、会話(英語)もままならないアジア人をよく雇って(無償)くれたと思います。本当に感謝です。私も、私の図々しさにびっくりです。

掃除の毎日

念願かなって学生トレーナーになりましたが、ヘッド・トレーナーに嫌われているのは百も承知。会話がままならないため、他の学生トレーナーたちも私の扱いに困っているのも知っていました。(誰も話しかけてくれない)

だからひたすら掃除していました。または、体力を使う(言葉を使わない)アメフトの練習で使う水の準備(結構大変)。

200人くらいいるアメフトの選手に対するテーピングの時間、私に頼む選手は1人もいなかったので、いつもアシスタント・トレーナーの横でじ〜っと観察していました。

アメフトの練習中も言葉を使わない体力仕事に専念していたので、広い広い練習場を走り回っていました。
ちなみに、私の知り合ったアメリカ人たちは、できるだけ楽をしようとする人たちばかりだったので、やたらと走り回る見た目が子どもの小さなアジア人は目立ったようです。コーチたちからも「よく働くね」と声をかけてもらえるようになり、選手からも「お前はもう走るな。他の奴らに仕事をさせろ」とも言ってもらえるようになりました。

私ばかり損をしている!なんて思ったことはありません。それどころか「これをやらないと私の居場所ないのよ」と感じていたので、楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。

馴染めるようになったきっかけ

あるアメフトの選手が話しかけてくれるようになりました。
「何人?どこから来たの?」
「日本ってどんな?」
「ホンダって車のホンダ?社長令嬢なの?」(←この質問は何十人にも聞かれました🤣)

その選手はアメフトの主要選手でした。あの彼が謎の日本人に話しかけているぞ。なかなか面白いやつなんじゃないか?!と、次から次から話しかけてくれるようになりました。
話しかけられると知らない単語やフレーズを覚えます。それを真似してぶつぶつを繰り返していると、どうやら使ってはいけない言葉や、訛り、black englishなどが含まれていたようで「危険だ!あいつにちゃんと英語を教えねば!」とか「あいつ、なかなか面白いぞ!」などど、トレーナーたちも声をかけてくれるようになりました。

やっとトレーナーの仲間入り。こなせる仕事も少しずつ増えてきて、言葉のハンデにもみんなが手伝ってフォローしてくれるようになりました。

トレーナーの勉強はすればするほど謎が増えるので、アメフトのマネージャー・ルームへ行ってみたり、ウェイト・トレーニング・ルームでコーチたちに質問をしてみたり。いろんなことをしてみました。

好きのパワーはすごい

「若さ」と言ってしまえばそれまでですが、当時の私には「トレーナー(ATC)になること」がもっとも重要だったので、とにかく無敵でした。
誰に嫌われようと、差別を受けようと、授業で苦労しようとも平気でした。やるしかない!

今、私にそのパワーがあるのか?
大人になると、何かにしがみついてしまいがちです。それをとても実感しています。やりたいことがあるのに行動する前に挫けてしまったり、諦めてしまったり。あの頃のパワフルな自分をもう一度!

常にチャレンジしていこうと思います。

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株式会社りとるジム
カラダとココロのメンテナンス
www.littlegym.jp

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