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書きなぐり読書感想文~宇田川 元一『他者と働く』

年末年始読書マラソン、3冊目の感想文です(2冊目はガチお勉強本だったので書くの見送り)。

今回の読マラは組織論系の本を中心にセレクトしているのですが、今回の本は副題に『「わかりあえなさ」から始める組織論』とあったことが購入のきっかけ。

自分が普段仕事をしている中でも、「絶対このほうがいいよ!」と自分が思っていても、お客さんには中々そうは動いてもらえない。そのモヤモヤをここ最近ずっと抱えていて、でも相手にも「動けない理由」があるんじゃないか、と思っていたところに本書との出会いがありました。

最初に言っておくと、本書は組織論の仮面を被った、「人との関係性」についての本です。それは、「はじめに」の中で著者自身が言及しています。

組織とはそもそも「関係性」だからです。

この本、後々調べてみたらSNS上でもかなりバズっているみたいで、2019年10月に初版が出てから、2ヶ月で5刷。内容が現代社会でみんなが抱えている違和感・問題意識にマッチしていたのでしょうか。あとは版元があのNewspicksということも一つか。

ただ一つ言わせてほしいのが、帯の売り文句が表裏合わせてくっっっそダサい!これをちゃんと目にせずに買って良かった。逆に言えば見てたら買ってなかったかも。

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※読了時間:約8時間(読みやすいと思う)

著者は冒頭、ハーバード・ケネディ・スクールで25年間リーダーシップ論の教鞭をとるロナルド・ハイフェッツの「課題」についての定義を引いています。曰く、既存の方法で解決できる問題を「技術的問題(technical problem)」、既存の方法で一方的に解決できない複雑で困難な問題を「適応課題(adaptive challenge)」としているそうです。本書は後者にスポットを当て、その解決方法として「対話」を推奨しています。

対話とは、一言でいうと「新しい関係性を構築すること」です。

そして、その対話のプロセスを「溝に橋を架ける」と表現し、それを1.準備(溝に気づく)2.観察(溝の向こうを眺める)3.解釈(溝を渡り橋を設計する)4.介入(溝に橋を架ける)の4段階に分けて説明していきます。

本書の最も重要なポイントは「自分と相手との間には違いがあり、それを認めることが第一歩である」ということ。著者は、人にはそれぞれの「ナラティブ(物語)」があり、それに従って行動しているとしています。ナラティブというのは、「価値観」や「常識」や「正義」と読み替えてもいいかもしれません。

人は気づかないうちに、自分独自の考えや感覚を、あたかも周りのみんなも同じように感じていると思い込んでしまうもの。ただ、このナラティブというのは、育ってきた環境や置かれている環境によっても変化するものであり、一人ひとり「違ってて当たり前」のもの。そこに「溝」が存在することを認識することが、対話の始まりだとしています。

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今回は感想のほうを長めに。

・本書に通底するテーマとして、「みんなが幸せに前に進む方法は何か」という大きな問いがあると受け取りました。VUCA(Volatility,Uncertainty,Complexity,Ambiguity)時代において、特にビジネスの世界は「ロジック(Logic)」「数字(Number)」「速度(Speed)」に囚われています。プロセスを放棄し、やったこと(原因)とおきたこと(結果)の一対一対応でしか物事を見ない。まさにそれがビジネスの「ナラティブ」なんですね。恐ろしいのは、ビジネスの世界だけでなく普段の生活さえもこの論理に従っているのでは?とも感じてしまうところ。

それでは、果たしてそれらL・N・Sのナラティブにのみ従属するだけでみんなが幸せに前に進めるのか。もし進めているとしたら、この世にある全ての課題は「技術的課題」であり、「適応課題」は存在しないことになってしまいますよね。でもまさに今、働く現場では適応課題に苦しんでいるという状況があるのをどう説明するのか。

本書を読み進める中で、対話というのは「プロセスを丁寧に進めていくこと」だと感じました。実際、時間がかかります。今の流れには中々そぐわないかもしれない。それでも、勇気を持って留まることができるかどうかが、その後の組織や関係性を決めて行くのでしょう。


・本書は組織論の本としてではなく、心理臨床など対人援助の世界で働く人にとっても有用な本だと思いました。というか、カウンセラーさんなんかは別の言葉で同じようなことを学び、実践していたりするんじゃないかなとも。自分の進んできた世界で学んだことを、別の世界の視点で捉え直してみる。これもまたナラティブとナラティブに「橋を架けること」なのかもしれません。

・とても実用的な内容が書かれている一方で、一点だけ。著者は前述の「観察」の段階で、自分のナラティブを「脇に置く」ことを求めています。本書内で取り扱うのが難しいかったのかもしれませんが、個人的には「なぜ人は、自分のナラティブを脇に置くことが難しいのか」という疑問を抱かざるにはいられませんでした。これは、心理学側からの言及が必要になってくる部分かもしれませんね(「アイデンティティ」などが関連してくるでしょうか)。


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