宿命論4、因果論6くらいの割合で ——『傷を愛せるか』宮地尚子
宮地尚子さんのエッセイ『傷を愛せるか』を読んだ。宮地さんは精神科医として働く傍らでトラウマ研究をしている人。これがめちゃくちゃ良かったので、刺さったフレーズたちとともに自分なりに考えてみたことを残したいと思う。
自分の”存在”で救えたのなら
私は、自分の性格上、誰かの悩みとか相談を受けることが多い。でも最近、ある人のことを「なんとかしなくちゃ」「助けてあげたい」っていう気持ちが強すぎて逆にしんどくなってしまうことがあった。真正面から受けとめすぎて、自分がまいって、つらくなってしまった。
その人からは「話を聞いてもらえるだけでうれしいんだよ」って言われて、ああそうか、私が隣にいることに意味があるのかなって思った。私の内側から出る雰囲気と、外側から見えやすい行動言動とで周りの人を平和にできるような人になりたい。烏滸がましいけれど、私という存在で誰かに笑ってほしい。
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「あのときは大変だった」と言えるようになるまで
本当にその通りだと思う。あの時は大変だったけど楽しかったなんて、その只中にいるときには絶対思えない。ひたすら苦しくてつらくて、なんで私だけこんなにしんどい思いをしないといけないのって気持ちだけが先走って、つんのめって転びそうになる日々。暗い。暗くて何も見えてこない。
しんどいことがあってもそれに耐えて耐えて耐えて、それが難しいならやり過ごして、過ぎ去った後に脱皮できていたら、それで少し強くなれていたら良い。そこまできたら、やっと「あのときは大変だった」って笑えるようになる。
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誰かを「愛する」覚悟
「誰かのことを愛する」のは、その人の良いところを「好きだな」と思うのではなく、自分にとってその人の良くないところ、理解しがたいところを「許す」ということだ、というような内容のことを見たことがある。そう思うと、誰かのことを愛して一生添い遂げることを誓う「結婚」って偉大だなと、相当な覚悟を決めたのだなと思う。私にはまだ、正直そこまでの覚悟を持てていないけれど、いつかその覚悟を決められるようになりたい。
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「自分に合わせる」ことの難しさ
就活をしているときに本当にそう思った。
他の人がどれくらい進んでいて何をしていて、っていう情報をあんまり入れないようにしていた。TwitterとかInstagramのそういう関連の投稿も見ないようにしていた。ただひたすら、自分がこの仕事に就くために、この会社に入るために、しないといけないこと、するべきことをこなした。
私は昔から自分のことに集中しすぎて周りが見えなくなるということがあって、でもこの性格が就活で功を奏したんじゃないかな、なんて思っている。何をするにしろ、自分のリズムに合わせるのがいちばん難しい。
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宿命と因果
両方、いいとこ取りで信じられれば楽だよねと思う。良い結果になったら、良かった、これまでの努力が報われたんだって自分のことを褒めてあげれば良いし、良くない結果ならば、そういうふうに決まっていたんだろうな、じゃあもう仕方ないよなって割り切れる、そうやって自分を大雑把にいたわる。
きっと人間は色んなことを自分の都合が良いように解釈すると思うから、少なくとも私はそうだから、その時によってそれぞれの考え方を適応させられれば多少はしんどくならずに済みそう。私はどちらかといえば宿命論4、因果論6くらいの割合で生きてる。たぶん。これからもそうやって生きたい。
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だから強くなった
犯してしまった過ち、傷つけられた過去。考え出したら芋蔓式に出てきそうな昔のいやなことは、できれば無かったことにしたいけど、それがあったからこそ今の私が創られているはずだから簡単に消し去りたいなんて言えない。しんどいこと、つらいこと、それなりに経験してきた。だからここまで私は強くなったと思う。負けそうにもなるけど、負けることもあるけど、強くやさしくなるための血肉にしていけば良い。
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最後は全部傷になるから
私たちは痛いこと、いやだったこと、苦しかったこと、つらかったことを「傷」と呼ぶ。でも死んでしまったら、自分にとっての誇り、うれしかったこと、自慢したいこと、誰かに認めてもらえたことも全部「痕」になる。それって結局は「傷」だ、と思う。
じゃあもう私の身体ごと全部ひっくるめて愛せたほうが良いなと。傷も何もかも。
どうせいつかは痕すらも無くなってしまうのだから。
もちろんいつでもそう思えるなら苦労しない。どうしてもそういう考え方を身体が受けつけないくらいの悲しいこと、理不尽なことが起こるようになっている。
だからこそ見失って分からなくなったら、何度でもこの本を開きたいと思う。もしかしたらその時は違う文章に救われるかもしれない。
大丈夫。この本があれば、きっと大丈夫。
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