【ネタバレ感想】『九月の恋と出会うまで』を観て覚えた違和感


近未来やディストピア、オーバーテクノロジーなど、様々な題材を扱うSFというジャンルの中でも、特に好きなものがタイムトラベルもの。いわゆる時間SFというジャンルが好みです。

時間SFの魅力を語れ、と言われたら軽く2時間くらいは語れそうな気もしますが、簡単に言えば『時間の流れを捻じ曲げることによる弊害に対して、どう辻褄を合わせるか』という点を自分は重視しています。ミステリ畑な人間なので、因果関係の論理的な説明をSFに適用すると、この時間SFのタイムパラドックスに行きつくのかもしれません。わかりませんが。


本題ですが、タイトルにもある通り『九月の恋と出会うまで』という映画を観ました。

原作は双葉文庫の小説です。個人的には映画と小説の両方がある場合は必ず小説から読むのが信条なのですが、今回は時間がなく映画のみとなりました。なのでこの記事の内容は映画の内容のみとなっています。小説では映画で覚えた違和感に答えが出ているのかもしれません。いつか読みたいと思います。

主演は川口春奈さんと高橋一生さん。正直、自分は芸能人に疎いところがあるので、お二人のことは全然存じ上げないのですが、お芝居に違和感を感じることはありませんでした。むしろ高橋一生さんの"冴えない小説家"らしさが好みでした。


そんな人物や物語の雰囲気については触れません。ここではこの映画の核となる部分、自分がこの映画を観るきっかけとなった『時間』についてお話ししていきます。タイトルにもありますがネタバレする気満々なので、ご覧になっていない方はご注意ください。

また、自分はSFガチ勢でもなんでもありません。浅学なエンジョイ勢の戯言として軽く聞き流していただければと思います。


タイムパラドックスについて軽く説明

言うまでもありませんが、現実にはタイムマシンが存在しないので、実際に過去へ行って親を消した際に自分がどうなるかという点は確かめようがありません。だからこそ想像力を働かせてフィクションとして物語を作っていくのですが、特にタイムパラドックスの対処法は作者の手腕にかかっています。

自分が時間SF作品を楽しむ際は、捻じれほつれてしまった糸をうまい具合に修正する際に、どのような対応を取るのか、という点を重要視しています。


とは言いつつ、実はタイムパラドックスの対処法は大まかに3種類に分類されます。これは『九月の恋と出会うまで』の中でも触れられていましたが、おさらいということで紹介します。


①運命は変えられない

親殺しのパラドックスを例に説明すると、どうあがいても親を殺すことはできず、結局歴史も未来も変わらない、という解釈です。

これに関してはそもそもパラドックスが起きないことが前提なので一番単純と言えます。これを逆手にとって親殺しが成功したと見せかけて、実は本当の親ではなかった、みたいな展開も作れます。

①系の作品でよく扱われるものが「ループ」です。過去の事象の原因が未来にある場合に発生するもので、どこが始まりか定まらず、終わりのないものが登場します。


②時の修正力が働く

親殺しを例に出すと、殺すことはできるが自分も消える、もしくは親が変わる、という解釈です。

先に①の例を出しておいてこんなことを言うのもアレなのですが、せっかく時間SFを題材にして「過去を変えることなんてできないんだよ……!」という展開だとそもそも面白くないので、①よりも②のほうがよく使われているように感じます。過去も未来も決まりきった中で時空を乱すよりも、過去と未来を引っ掻き回すほうが話を広げやすいのが良いのかもしれません。もちろん①系の作品もループというワードが使えるのでそこから話を展開できますが、ここは一長一短でしょう。


③世界線が分岐する

実はこれ、上の①と②の複合のようなものです。親殺しが成功したら成功した世界線、失敗したら失敗した世界線に移動する、というだけなので。

ただ、③の物語を作るうえで重要なのはこの世界線を誰が観測しているのかを明確にする、という点です。設定として、世界線を観測できる主人公がいないと、そもそもお話にすらなりません。

物語を外側(メタ視点)から見る以上、鑑賞者、読者、とにかく現実の我々は、必ず世界線の観測者になります。そこに同じように世界線を観測できる主人公がいなければ、我々は物語に没入できず、ただ運命に翻弄されゆく人々を眺めているだけとなってしまいます。せっかく世界線の分岐を核とする物語なのに、これでは面白みの欠片もありません。

③を使う場合は、複数の世界線の記憶を共有して保持できる主人公が必要であるということを覚えておきましょう。


完全に余談ですが、時間SFの名作 Steins;Gate は上の3つすべてを含んでいます。

Dメールを送ることで細い世界線が分岐して時の修正力が働き、主人公の知らないところで人間関係や場所が変化します。

しかし、細い世界線の中では運命を変えられないので、タイムリープマシンで過去へ移動しても未来を変えることはできません。

そのため、大きな世界線を移動して未来を変えようと模索する、というのがSteins;Gateの物語です。あれだけ複雑なタイムパラドックスを制御しているからこそ人気を博したのだと推測します。余談。


『九月の恋と出会うまで』は①②③のどれなのか

タイムパラドックスの対処法・解釈のおさらいが済んだので、ここからは自分が違和感を覚えたところに切り込んでいきます。見出しの通りです。

その前にせっかくネタバレありで書いていくので『九月の恋と出会うまで』の物語を簡単におさらいしましょう。上述しましたが、映画版です。


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主人公・北村がある日、自室で1年後の平野を名乗る男(以下・シラノ)から「自分を尾行してほしい」と言われる

北村の部屋に強盗が入り込むが、平野を尾行していたため北村は被害を免れる

平野にこれまでのことを打ち明けると、1年後にシラノが同じように北村に話しかけないと、時の強制力が働いて北村が消えてしまう、と言われる(平野とシラノは声が違う、と感じる)

北村はたまに自分が消えるような感覚を覚える

シラノは元カレかもしれないと思い、捜して見つけ出す

北村が転勤して部屋が空く

平野は元カレと話すが、シラノが元カレではなく、自分であることに気付く

平野は小説の大賞を取り、北村の部屋から1年前の北村に声をかける

実は平野は北村と出会う前に公園で見かけており、一目惚れだったと話す

ハッピーエンド

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大ざっぱですが、こんな感じ。ほかの住人など、伏線とは関係ないところは省きましたが、伏線だと感じた点はできるだけ書き出しました。


まず初めに③は除外しましょう。③で書きましたが、世界線を観測する人が登場していない、というのが理由です。例えば北村が時の強制力によってある日突然消えてしまった際に、平野が北村のことを覚えているなら③はあるかもしれません。そもそも消えていないのでこれ以上は何とも言えませんが、仮に消えたとしても平野の記憶からも消えると思います。何にしても③の世界線はないです。


では①か②かという話になりますが、どちらも矛盾が生まれます。

作中で登場した伏線を拾っていくと、どちらで仮定しても説明のつかないところが出るので、どちらとも言えないというのが正しいかと思われます。後述しますが、個人的には①寄りだと思っています。


まず、①の場合を考えます。

運命は変えられない、と仮定すると、どうあがいても北村は9月27日に亡くなるか、どうあがいても北村は9月27日に亡くならない、のどちらかになりますが、まず前者はないでしょう。作中で平野を尾行させて部屋から離すことで強盗の魔の手から救い出したという事実があります。

では逆に、何をしても、何もしなくても北村は亡くならない、と仮定するとどうなるでしょうか。ここでひとつの矛盾が生まれます。

それは1年後のシラノの声です。北村は初めて平野と言葉を交わした際に「シラノと声が違う」と言いました。これは致命的な矛盾です。

『平野とは違う声』が1年後から話しかけてきたから北村は救われたのです。なので作中の描写と矛盾している時点で、①はあり得ません。

単純に、最初に聞こえてきた声が平野と同じだったら、1年後話しかけてくるシラノが平野とわかってしまって面白みがないから変えた、という裏設定があるなら別です。だとしてもここは重要な伏線なので、そこをエンタメに寄せた時点で時間SFとは呼べないでしょう。


余談ですが、①のループに関する事象・物は、必ずどのループでも一致していなければならない、という決まりごとがあります。上の『シラノの声』を例にすると、平野以外なら誰でもいいというわけではなく、必ず同じ人間が、同じ内容を話さなければ同じ結果に辿り着きません。ただし北村に「平野とは違う声だ」と認識させられればいいので、平野が変声機を使えばこの問題はクリアとなります。まあそんな描写はなかったのでここで議論するには値しませんが。


①があり得ない、ということは②になりそうなのですが、どうでしょうか。

過去も未来も変えられる、と仮定して時系列順に追っていきます。


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北村が強盗に襲われて亡くなる

元カレが北村の部屋に住み、1年後に1年前の北村に声をかける(物語の始まり)

そのおかげで北村は死を回避し、平野と出会う

シラノ捜しで仲良くなり、平野と恋仲になる

元カレを見つけ、転勤し、平野が1年後に1年前の北村に声をかける

そのおかげで北村は死を回避し、現在の北村も消えずに済む

実は平野は北村と出会う前に公園で見かけており、一目惚れだったと話す

ハッピーエンド

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パッと見、特に問題なさそうですが、実は矛盾があります。

平野が1年前の北村に声をかけるところと、平野が北村に一目惚れだったというくだりのところです。

前者は、元カレが1年前の北村に声をかけることで(物語の始まりの個所)北村を救うことができましたが、平野が同じように声をかけて北村を救うことができる保証がない、という点が問題です。もちろん、一概に救えないとは言えませんし「救えたからハッピーエンドなんだろ!」と言われればそこまでです。ただ、①では100%救えると言い切れるのに対し、②だと声も内容も違っていて本当に救えるのだろうか、という疑問が残らなくはないです。

と言いつつ、こちらは救えたということで一旦決着としましょう。問題は後者です。


北村は最後のレストランで「なぜ最初のシラノは私に声をかけてくれたのだろう」とつぶやき、それに対し平野は「実は公園で北村さんのことを見かけていて、一目惚れだったんです」的なことを言っていました。ここのくだりは完全に矛盾です。

そもそも最初は元カレから始まるので平野は無関係です。なのでこのレストランでの会話は②の状況を仮定すると不必要なのです。

もしレストランの会話を正とすると、今度はシラノと平野の声についてと『町一番のレストランに連れていく』という約束を平野が最初から知っている点で矛盾が生まれます。

細かい点でいえば、元カレはどうやって過去の北村に声を届けることを知ったのか、という点も気になります。①だとループしている存在に最初はない、という一言で片付けられるので、②は最初を説明できないとなかなか厳しいところがあります。


以上より、どう考えてもこの物語には矛盾が生まれてしまうのでした。これが自分の覚えた違和感です。


何が許容されたら綺麗に物語がまとまるのか

結局、どう転んでも矛盾がある物語だったということがわかりましたが、じゃあどこの矛盾を見逃したら物語として成立するんですか? ということについて話します。


おそらく、シラノの声と平野の声が違うという点に目を瞑ればこの物語は成立すると思います。

そして最後のレストランの会話の矛盾を解消するには、最初に話しかけたシラノも平野でなくてはならず、シラノ=平野の声がループしている①の状況だと矛盾なく説明できると思います。要は元カレは最初から必要なかったということ。


①のループは厄介な存在で、始まりというものがありません。さらに言えば因果関係もめちゃくちゃです。

『町一番のレストランに連れていく』という約束は元カレが発祥ですが、未来の平野が北村から聞いたので、元カレじゃなくても1年後の平野でも言えます。

一箇所、レストランでの北村の「最初のシラノ」という言葉は、ループしている存在に最初がないので適切ではありませんが「一目惚れをした」のくだりは生きるので、やはりこちらが本来意図していた物語の流れなのかなとは思います。


③の世界線も絡めるとうまいこと説明できそうな気もしますが、ややこしくなりそうなのでやめておきます。


さいごに

この作品には矛盾や説明がつかない箇所が少しありますが、ハッピーエンドならまあ良いのではないでしょうか。(適当)

ご覧いただきありがとうございました。

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