48.ぎむとこ

 日々のエセー『まいにちとことこ』
第48回は、「ぎむとこ」義務について。

 宿題が大嫌いだった。

 でも、「いい子」でいるために、提出期限は守ったし、夏休み大量に課される宿題は最終日に心で泣きながら一気にやった。
 子どもなんだから「いい子」でいる必要はなかった。ぼくの両親もそういうふうに仕向けたわけでもないし、学校もそれを義務付けて要求したわけでもなかった。

 ただ、ぼくには面子メンツがあった。

 小学校のとき、いちばん賢かったわけじゃないけれど、スポーツ以外なら基本なんでもできたぼくにとって、嫌いな宿題を出すことはあたりまえ●●●●●だった。「いい子」で居たかった。
 両親曰く「兄妹のなかでもほとんど手の掛からない子だ」というぼくは、それを聞いて、嬉しくなって、<これからも面倒をかけないように>と日々をおとなしく過ごした。

 そのせいか、今でも自己表現が苦手だ。「はっちゃける」が、よくわからない。それは理解に苦しむということじゃなくて、自分がそうするにはどうしたらいいか、それがわからない。

 とにかく「義務」は嫌いだ。<なんの権限があって、それはぼくの人生を邪魔できるんだろう?>  そう思う。けれど、それに従わないことには、哀しいかな、誰かと生きていくことはできない。待ち受けるのは「孤立」だ(「孤独」とは違う)。でも、内的な、内面化された「義務」は恐ろしい。

 「義務」は誰かから強制されるものだけじゃない。内なるものもある。


[2024.9.28]