寺内太郎

国立でリトグラフの教室(ラール ヴェリテ)を20年、主宰している石橋泰敏さんから、ちょ…

寺内太郎

国立でリトグラフの教室(ラール ヴェリテ)を20年、主宰している石橋泰敏さんから、ちょっと手伝いに来いと言われ、刷り師の修行をゼロから始めました。そんな日々のなかで感じた、新たな驚きや感動、作業工程の詳細な説明をして、リトグラフの魅力を皆さんにお伝えして行こうと思います。

最近の記事

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リトグラフ1版目

    • リトグラフ 極薄ダーマトの製版 その1

      少し時間が空いてしまいましたが、ずっと描画して来た究極の版の製版テストです。 夜明け前の空です。 今回はテストといっても版を複数作り重ねて見たいと思っています。 何が究極かと言うと、ご覧のようにダーマトグラフでこんなに薄く描いたものが、ちゃんと製版できるのか?と言う問題です。 事前に試行錯誤しましたが、とにかく研磨されたアルミ表面の先端にちょびっとだけダーマトグラフの粉がこびりついているだけ。 スポンジなどで擦れば簡単に取れてしまいます。 その為、極力版や描画材に圧を加えたく

      • 舟越 桂さんの告別式

        先日 代々木の教会で行われた告別式に列席させて頂きました。 数年前から闘病されていたことは存じていましたが、まだまだご活躍されて欲しかった。 僕にとって高校の大先輩 ご兄弟ともお付き合いがあった関係でリトグラフの工房を立ち上げて直ぐに、拙い刷りでも作品の製作を5展ほど製作して頂き、それはとても貴重な経験でした。 お父様が日本を代表する著名な彫刻家だったので、その長男として、サラブレットとして生まれたプレッシャーはあったと思いますが、そのお父様を越え、海外の評価も高く、世界

        • 舟越 桂さんの告別式

        リトグラフ1版目

          奥塩原元湯温泉郷 再訪紀行 4月3日

          久しぶりに投稿します。 先日、ある妙齢の女性から「寺内さんのnote読んでます」小声で告白されました。 とてもチャーミングな方で、僕としては昔、深夜にマンションのエレベーターで見ず知らずの若い女性と2人だけ。 僕が先に降りる際に、その女性から「おやすみなさい」と言われて驚愕した体験に匹敵する驚きです❣️ そんなこんなで、そのたった1人の読者のためにnoteを書き続けなくてはならない! 全く単純なモチベーションが湧き上がった次第です。さて、それで何を書くんだと言っても、温泉、食

          奥塩原元湯温泉郷 再訪紀行 4月3日

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          大晦日に鎌倉から箱根へ

          大晦日に鎌倉から箱根へ

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          2ヶ月に一度は温泉♨️@箱根強羅

          今年後半から夫婦で旅行を再開しました。 いつもジョージ(犬)を連れての旅行だったのでペット同伴可能な宿を探しては行っていたのですが、夏に亡くなってしまったために、もう普通の旅館に泊まる事が出来る様になりました。 正直、今まで我慢していた事から解放された気分があります。 8月末に奥塩原に行って味をしめ、もう帰宅したら、すぐに次の旅行の予約です。 もちろん安い宿屋を探しますが、それなりに美味しい料理を楽しみたい。 そこで口コミやリピート率などを参考にしてネットで検索。

          2ヶ月に一度は温泉♨️@箱根強羅

          岩魚の塩焼き&松茸@うかい鳥山

          昨日は法事の後、親戚一同、高尾のうかい鳥山でコース料理を堪能しました。 最近の若い人は頭から骨ごと齧り付く食べ方を知らないんですね。 松茸の炊き込みご飯も久しぶりに食べ、白ワインを飲んできました。 僕は読書も文章を書くのも、とても好きです。 なので読んでいる本の話も折々したいとは思っています。 いずれにせよ、小難しい話は得意ではなく、かなり個人的な感想、趣味趣向になってしまいそうなので皆さんに興味を持ってもらえるのか?どうでしょう? とりあえず、今は山田風太郎の戦中派不戦日記

          岩魚の塩焼き&松茸@うかい鳥山

          自己紹介

          突然、「リトグラフの魅力について」などと言うマニアックと言うか、美術、版画家、美大系の人しか聞いたことのない事柄について書き始めてしまったので、 僕も自己紹介を一応書かないといけないと思い立ちました。 寺内 太郎  東京生まれ 62歳 男 同居人と猫2匹と暮らしています。 日野市在住 和光大学人文学部芸術学科卒業 大学卒業後、長野にあった森版画工房の幡ヶ谷支所でアシスタントプリンターを経て、渋谷区南平台に出来た、エディション・ワークスにてアシスタント 後に寺内版画工房として

          自己紹介