「末期の眼」には自然が美しく映るそうである。 芥川を始め、川端が同名の随筆内で連想的に挙げる人物達は、みな文芸の人であり自然含めこの世界と向き合ってきた人であった。その彼らの最期の眼に、もし自然が美しく映っていたのだとしたら、それは面白くも当然のように思えてしまうかもしれない。 私は、自分に死期が目前まで迫っているなどとは微塵も思わないが、特別生きようとも思わない。怠惰に明け暮れ過ごす人間に、自然は無関心である。 私には末期の眼に似た物が訪れるとは思えない。何の前触れも意図
暇だったので一気に書いたが、自分の心情や思考をつらつらと書き連ねるというのはかなりストレス解消になると気づいた。 しかしこれは読む側のストレスを考慮しないので、結果として残るのはやたら読みにくく意味も無いような駄文である。 私は常に私の弱さを意識して生きていた。私が私の中に弱さを認めた途端、ぐるぐると自己論駁・自己批判が始まり、最終的に煩悶を悪と見做し結論の導出を放棄するのが茶飯事だった。 私は自らを憎んでいた訳ではない。寧ろ自らを肯定しようと幾度も努めた__。 い