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役立たずなら落ち込まない

こんちにはタキです。
3連休いかがお過ごしでしたでしょうか?
私は色々あって力尽きて12時間睡眠を取ったりしていました。
お勤めだった方は大変お疲れ様でした。あなたのおかげで休日をとらせていただけております。

さて、今回の内容を要約すると、
人の役に立ちたいなら、役に立たなかった自分を責めたり、ひとりで落ち込んだりする事をやめた方がいいという話です。

私は基本的に人の役に立ちたいと考える人間です。
特に仕事に関しては強くでます。

きっかけは、新卒で就職した会社で1年経ったあとに上司が変わった時、「こんなことも教えてもらってないの!?」と叫ばれたことかもしれませんし、同僚から「こんなこともできないんですか?」と笑われたことかもしれません。
わかっているのは、この会社を辞めた後に就職した職場では、いつの間にか役に立てないことに恐怖を感じるようになっていたことです。

人の役に立ちたいという気持ちは、
人に尽くしたい。人から喜ばれたい。人から必要とされたい。と、大きな気持ちに変わっていきました。

ただ何年も経った現在は、人の役に立とうとする人間を利用する人たちがいるということを、左手が若干麻痺するという代償を払って学び、誰彼構わず人に尽くすことは良くないという学びを得ました。

それを越えて、やっぱり人の役に立ちたいと思うのです。

役に立ちたいと思うということは、自分は役立たずだ!と感じる場面が多々あるということです。
そうなると私は毎回、すぐ落ち込んでいました。
自分を責めたりして長い時間をとったあと、しばらく経ってからよろよろと意識を現場復帰させる。それが普通でした。

ですが、ある時からこの流れはよくないなと気づきます。これは仕事をメモするノート以外に、職場での一日の記録を取る日記をつけ始めてから気づいた事です。

日記をつけようと振り返った時に、
役に立たなかったー!と落ち込んだ前後の記憶が
あやふやになっていたからです。
仕事モードから落ち込みモードに切り替わったせいで、教わったことの記憶が一部消えていました。
この時に「人の役に立ちたいなら、自分は役立たずだと、落ち込んでる場合ではないんだ!」ということに気づきます。

役に立ちたいなら思考を止めてる場合ではないのです。

落ち込むことは、行動を思考を止める事です。
止まってる間は何もできません。
もしかしたらショック過ぎて、私みたいに前後の記憶が飛ぶ可能性があります。
行動を止める事は損しかありません。

せやかて落ち込むねん。
落ち込むのは仕方ないねん。
メンタル豆腐やねん。

とは、思いますが。すごくよく分かりますが、ここで一つお話を。
自分は役に立たないというのは、どんなに足掻いて努力しようが、一生ついて回る思想だという事です。
それはなぜか?
人の役に立ちたいと考える人は、役に立たなかったことを喜べる思想を理解できないからです。
もっと略してみると、有給は例外として「仕事しなかった上に給料貰えてラッキー」という考えに抵抗があると思います。
そして、仮に役に立てるようになっても、恐らく再び役に立たない自分は現れます。世の中の時間は進むし、環境は不変ではないからです。

一生ついて回ることに「役に立たなかった。自分ってダメなやつ…」と、いちいち落ち込んで役に立つ機会を遅らせるよりも、「どうやったら現時点の自分から役に立つ自分になれるのか」を考えた方が早く人の役に立てる自分になれる可能性が上がります。

10年以上かけて、薬が変わり、環境が変わり、状況が変わり、だんだんと落ち着いた生活を送れるようになってきました。
おかげで、今までできなかった働き方ができるようになり、色んな人とも出会う事ができています。
初めて病気で退職してから、毎日落ち込んでいて目の前が見えない生活でした。自分の暮らし方に目が向くようになってきたのは本当に最近の話です。

「あなたを落ち込ませているのは、病気のせいです。立ち直られると病気してもらえないから、病気は元気になるのを邪魔するんです」
と、カウンセラーの先生に言われた時にハッとした思い出があります。

自分を責めていると楽です。落ち込んでいると楽です。心は辛くて、体も痛くて動けない、とても辛くてしんどいのですが、楽なんです。行動も決断もしなくていいから。
でもそれでは何も変わらないから、やっぱり結果的には落ち込むって辛いことですね。

自分は役立たずだと落ち込むあなたは真面目で頑張り屋だと思います。
とりあえず、今この瞬間はそれは一生の悩みだと諦めて、落ち込むのをやめて、今何ができるか考えてみませんか?

それでは今日はこの辺で。
よい一日をお過ごしください。

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