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日々徒然 “自然について” 20240807

いつもご覧いただきありがとうございます。自己紹介文を追記しました。本日まで、自己紹介の文章が私のnoteに無く、妻から自己紹介は載せたほうがいいかも、と提案があったため。
 今回は自然について、学生の頃、山奥にテントだけを持って1泊しようとしたらあまりに暗く、静寂に包まれ恐怖感を感じ、途中で家に帰ってしまった。暗闇に吸い込まれそうだった。
 不思議とこの記憶が、今でもまだ残っており、最近まで遠方で素晴らしい自然が多い処でログハウスを借りていた。このログハウスで夜になると動物の鳴き声とたまに飛行機の音、近くを流れる河の音を聞くことができた。冬は山間地域のため備え付けのストーブを薪を焚べて、移り変わる炎を眺めながら静かに過ごした。外に出てみると月明かりだけで周りは真っ暗(その時の様子は上写真参照)。遠くの山の稜線のシルエットが綺麗だ。早朝、鹿の親子が丘陵を登っていった。イメージしていた鹿より、脚の筋肉が凄かった。この瞬間をこの地で過ごすことができたことは財産であると思う。しかし、真冬には水は湧水から汲んでいるため、凍結でお手洗いとシャワーが使えなかった。そのため近く といっても車で30分以上 の温泉に入りに行った。朝顔を洗う時は、バケツと歯ブラシ、コップを持って小さな川で洗った。朝日が森の中に差し込み、私も自然の一部と感じることができた。ログハウス内には羽蟻やカマドウマなど自然と家の境目の無い虫が入ってきた。それらは全て窓から逃した。夏でも渇水があり、近場の街に避難した。ログハウス内の日光の影とシルエットが幻想的だった。
 今夏は近くの河 というより、沢へ行った。テントと浮き輪を持ち出掛ける。小さい頃は家族と親戚で川に遊びに行った。いつも出掛けるところは流れも穏やかで深さも腰くらいまで、しかし水がとても綺麗で水中メガネで見ると小魚が泳いでいる。岩から河に飛び込むとまるで胎内に戻った錯覚に陥る時がある。水中から水面に上がると、日光の光が水中に差し込んでいる 光線の印象が蘇る。河遊びの後はテント内で寝る。水の流れは自宅で環境音楽の音源を聴くことがあるが、生の自然の音は、聴いていると何か大きな存在に吸い込まれるような音であると思う。
 私達人間は自然に育てて貰っているかもしれない。
 

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