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永井均「ウィトゲンシュタイン入門」より-2

しかし、どういうわけか、私は生まれ、今ここにこうして存在している。そしてそれは永井均という名づけられたこの人間が生まれたということとは別のことである。なぜなら、永井均という名のその人間が生まれていながら、それが私ではなく他人(というよりむしろ単なる一人の人間) にすぎない、という状況は十分考えられることだからである。
だからこの問いは、実のところは、「なぜこの子(つまり永井均) が自分であって、隣にいる子が自分ではないのか」という問いと同じ問いなのである。
(これは主に、「哲学探究」「青色本」について書かれたもののようです。)

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