視覚と客体(外部にあるもの)

例えばオーディオ用のコンパクト・ディスクの場合、記録されているのは物理的な凹凸だが、これが順次光学的な、また、電気的な情報に変換され、最終的にスピーカーによって、音響として出力される。それぞれの過程での情報変換の規則が定められているため、私達は意図した音を得ることができるが、最初の物質的凹凸情報と、最後の音波の情報とでは、情報としての質が全く違う。この質の違いが、視覚における光学情報と視覚情報との質的違いに対応する。

 そして勿論、私達の視覚における一次情報である光学的スペクトル自身、その物理的な対象に関する或る一つの表現、に過ぎない。つまりそれは、対象について一定の情報を担うもの、であり、対象自身ではないのである。

 ただし、一定の物理的条件(光学的スペクトル)に対して、人間の色覚も一定の安定した反応を示す。この安定性は恐らく、視覚細胞における反応過程の物理的・化学的な安定性に由来するだろうから、私達はこの対象と感覚との「対応の安定性」をかなりの程度信用してよい。その結果、色彩自身は対象の性格を語らないとしても、或る一つの対象は一定の条件の下では常に同じ色に見える、というような対応の安定性のため、その色を対象の属性と見なしても実際上は特段の問題を引起こさない、という結果になる。

だから一面的にであっても、認識の方法と世界のあり方が安定的に対応する限りにおいて、或る限定した形で、感覚は世界に妥当する。日常的には恐らく、「林檎の果肉は白い」と言うのは正確ではなくて、「林檎の果肉は白く見える」と言うべきだ、というほどのことでしかないだろう。


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