晴れた日には

家族がそれぞれの用事で出かけてしまって、丸一日空いたことがある。その日は美術館に行って、わりと好きな画家の絵を見ようと思っていたのだが、自分の手続きを間違えたせいで、購入したチケットの発券が翌日以降ということを知り、その日のうちに美術館に行くのを諦めた。

午前中にそうすることを起点に予定を立てたので、出だしが崩れてしまい、一日何もやる気が起きなくなった。まあ、そういう日もある。本当はその後にスーパー銭湯にでも行って残りの時間ダラダラするのも予定してたのだが「え、これ、行ってどうするの」という考えが頭に浮かび、そのまま実行されることはなくなった。

家の中で中途半端にダラダラしていると、子どもの頃……というか高校生くらいのころ、夏休みにテレビを見ていて「あ、これ、ここから飛び降りたら死ねるな」と当時住んでいたアパートのベランダに目を向けて思っていたことを思い出した。
あの時は薄暗くなった空と、向かいに見える団地の影が見え、その下のほうからバスターミナルに集まるひとの騒がしさとディーゼルエンジンの低い音がして、気のせいか排気ガスの匂いが鼻にとどいたのだった。
今なら首吊って死んでもいいかもなあ。
もちろん死んでしまう理由はすぐにはないので、無理矢理にでも外に出ないとダメだと思い、出かけ、さんざん彷徨った挙句、安いうどん屋で昼ごはんを食べた。

いつもならいくつかお約束のように店を回るのだが、今回は結局、たいしたこともせず、家に帰りたくなったのでそのまま帰宅して、横になった。以降の記憶はない。起きたら夕方だった。

夏はいつもこんなことの繰り返しで、今はエアコンもない家の中で動くのもだるいと思いながら、何度もやってくる希死念慮のようななにかと喧嘩をする。喧嘩というか、なだめすかしているというか。
なんで生きてんだろうなあ、と思うことはある。もういい歳したおじさんなので、馬鹿なやつと自分を蔑むこともある。だけどこんな芸風で生きてきたのだ。最後まで責任は取らないといけない。

冷蔵庫の冷たいお茶をコップに入れる。昔ほど速くは飲めなくなっているので、何度も喉を鳴らしてゆっくりと飲む。たぶん年寄りになると誤嚥性肺炎になるんじゃないかといつも思っている。まあ、まわりはしったことではないだろうけれど。

今年の夏はいつもよりも暑かったのだそうだ。たぶん何年もしたらこれが普通になるのだろう。その時も同じようにしているのかはわからない。きっといつものように死にてえなあと思いながらうだうだと日々を過ごし、気がついたら秋になっているのだろう。そうだといいのに。

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